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ボブソンのトレーナー

ボブソンのトレーナー

我が家はそれなりに貧乏だったと大人になってからは思うけれど、小学生の頃は全くわかっていなかったし、感じてなかった。
 永谷園のお茶漬けは一袋を何回かにわけてつかっていたけれど、それが当たり前だと思ってた。大人になって初めて規定量でたべたお茶漬けの美味しさにはびっくりした。笑。
 蛇口からでる水の量も、いまでも勢いよく出しているのをみると、反射的にだしすぎ!!てなる。
 僕は基本的に何かが欲しい、なんて事もなかったからかもしれないが、ビックリマンチョコやキンケシぐらい、両親が一生懸命に、ぼくがそんなふうに感じないように頑張ってくれていたからだ。

僕は生まれつき目が悪く、いわゆる先天性の眼球振盪で、弱視、斜視という、病名?だ。
 その事を母親は最後の最後まで気にしていた。だからこそ、尚更。という気持ちはものすごくあったんだと思う。
 もちろんぼくは、この目が当たり前として育ったので、特にその事を気にして恨んだりした事なんてない。悲しい思いをした事は多少あったけれど。
 なんなら、そのおかげで母親と一緒に学校を半休して、須磨の子供病院にいけるのが楽しかったな。バス停で2人でバスを待っていたのを鮮明に覚えてる。

そんな僕の、小学校の卒業式。
ニチイというスーパーで、洋服を買ってもらった。とくに欲しかったわけじゃないけど、親心として、卒業式ぐらいは、て気持ちで買ってくれたんだと思う。

黒と白のトレーナーで、外人さんの写真のようなものと、ボーダーの柄だった。好きなん選びーっていわれても、全然わからなかった。
 なんか興味ないなりに白黒でかっこいいなて思って、決めたように思う。
今もあるのかな、BOBSONというジーンズのメーカーのもの。
母親は「メーカーもんやで」て笑てた。

もちろん「メーカーもん」の意味も価値も、母親の気持ちも
わかってなかった。

僕は何も返せなかった。

卒業の話を目にしたり、耳にしたりすると、
思い出すのは年々ボブソンの事。
ニチイの思い出にはファミコンのカセット事件というのもあるけど、また別の機会に聞いてください。笑。



今日も全部だそう。
 2020 2/28 14:24
もうすぐ志津につきます。


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別ブログに投稿したものを
転載、加筆修正した記事です。

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