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人を否定したくなっちゃうときは

この人、何でそんな考え方するんだろうって思うとモヤモヤする。何か言いたくなる。

つまり、傲慢にも 間違いを正したくなる。

例えば、見栄や虚栄ばっかりの人。

不満や愚痴を言い続ける人。

いない人の悪口で盛り上がる人。

周りを責めていつもイライラしている人。

他人の評価を判断基準に生きている人。


この前、友達に褒められた時に謙遜しなかった。

冗談半分ではあるが笑顔で、
「そうでしょ〜」って自信満々に肯定したら、

「自分で認めちゃったら価値が下がるよ」
と言われた。

この人の言葉の根底には

他人の目や評価を価値基準に生きている 
「他人軸な考え方」があると思った。

「なんで他人の評価で私の価値が下がるんだよ。
私の価値は、私が決めるんだよ。

そもそも誰からみた何の評価?

私は、努力してるから 今の私を肯定してるんだよ。
それがわかる?」



本当はそう言い返したかった 笑
無駄に腹が立った。

そこまでは言わなかったし、伝わらないと思った。

だから、

「相手がどう思うかは相手次第だからね〜」って
和やかに答えた。

何だか最近、すごく言い返したくなる。


その考え方は違うんじゃない?って言いたくなる。

YouTubeの本要約チャンネルや、
ひろゆきの論破の見過ぎだろうか。

本の「嫌われる勇気」に影響され過ぎだろうか。


言い返したくなる本当の理由は、きっと

私と違う、その人の生き方を見せられることで

私が間違っていると言われている気がするから


つまり、本当は弱い私の 
無価値感や劣等感を刺激されてしまう。

「 私は私。あなたはあなた。」

分かっているつもりだった。
でも、やっぱり難しい。


「私の考え方は学問に基づいてるから正しい。

みんなもアドラー心理学とか、
自分軸についての本は読んだほうがいいよ」って、

もはや、そう思ってしまう。


そうなったら  もし、そう押し付けてしまったら

もはや、宗教の勧誘だ。

どんな考え方を持つかは人の自由だ。


その人にはその人の生き方があって、
その人はその人でいい。

そして私には私の生き方が適している。
それでいい。


上も下もなく、それぞれ違うだけ。

「間違いを正したくなる」っていうのは
その人の考え方が間違いだと思っていて

なおかつ傲慢にも、見下してしまっているんだ。

でも、それぞれ違うだけで、上も下もない。

善悪もない。


そして、その人が私の生き方をどう評価するかは
その人の問題であって 私の問題ではない。


私はまだ未熟だから、まだまだ割り切れない。


「その人にはその人の生き方があって、
その人はその人でいい。

そして私には私の生き方が適している。
それでいい。」

これを、ちゃんと忘れずにいたい。

そして、何か言いたくなったら思い出す。

きっと不要なストレスも抱えずに済むし、

なにより人生がシンプルだ。

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