【ワケアリケイ】『形見の痣』(第4回)
今日から八月に入った。
そして、毎年八月一日の夜といえば、この地域では市と地元新聞社の共催による納涼花火大会である。毎年の風物詩のひとつであるが、その来歴はといえば、終戦の年、つまりは昭和二十年の八月一日の深夜にこの都市が米軍による大空襲にやられ、甚大なる被害と犠牲に見舞われたことによる。つまり本来は戦火による犠牲者の慰霊とこれからの平和を祈念する意味での花火なのだが、今やその謂れを知る人も少ない。
だが、毎年多くの市民がこの花火大会を楽しみにしており、八月一日の夕方から夜にかけては打ち上げ場所近くである市の中心部は毎年のように大混雑である。
アヤカにとっても、中学一年のときに当時の仲良しグループの女子五人でバスと路面電車を乗り継いで、打ち上げ場所の近くへと見に行ったくらいで、それ以外の年は遠巻きに眺めるに過ぎなかった。グループで見に行った年には五人のうちのひとりが迷子になり、アヤカも体調不良になり、翌日から数日間、せっかくの夏休みなのに寝込んでしまったのだ。そんな経験もあるし、今更敢えて人混みのなかに出るのもおっくうな話なのだ。
「ハナビー、ハナビー!!」
花火の打ち上げを見ているナツミはいつも以上にはしゃいでいる。アパートからは建物が陰になって見えないので、歩いてすぐそこの公園へアヤカはナツミを連れて、遠くからではあるが花火を眺めにきたのだ。
ふと、アヤカは思い巡らす。ユウキと一緒に見たことはあったっけな……。ナツミが生まれてからは……。
そこでハッと気がつく。今二歳のナツミにとってはこの花火大会自体、人生「初めての開催」なのだと。一昨年、そして去年と、とある事情によりこの花火大会も中止を余儀なくされ、今年は三年ぶりの開催となったのだから。
そう、今年の春まで世の中はなんとなく暗い雰囲気につつまれていた。そんな陰鬱な雰囲気から世の中が開放されつつある、ちょうどその頃だった。ユウキが事故死してしまったのは。
「そっか、ナッちゃんにとってはこの花火って初めてだよね……」
左手をナツミの頭の上にそっと置いて、顔を伏せながらそっと目を閉じるアヤカ。天国にいるはずのユウキも見ているのだろうか。
さて、八月のはじまりの日の今日、アヤカとナツミにとっての「朗報」が舞い込んできたのだった。夏休み明けの九月一日から、ナツミに対して保育園の利用が認可されたのだ。年度途中での中途入園というかたちにはなるが、九月になったらナツミも保育園に行ける。だから、アヤカもようやく何かしらの仕事をすることができるのだ。ユウキの残してくれたわずかのお金はもうほとんどなくなってきている。そろそろ生活費を消費者金融などに頼るしかないのか、と思っていた矢先のことであった。
同時にアヤカにとってもナツミと四六時中一緒に居てあげられるのは、今月いっぱいだということになる。残り少ない時間かもしれないが、その中には十五日のナツミの三歳の誕生日もあるのだ。
「保育園受かった!日本バンザイ、だね!」
今朝、市役所から来たお知らせの郵便をユウキの遺影の前に添え、アヤカはユウキにそう報告をしたのだった。あのあとも懲りずに申請を続けた甲斐はあったのだ。
もうユウキが事故死してから二ヶ月半が過ぎた。人の噂も七十五日なんていうけれど、日数に直すと確かに二ヶ月半といえば約七十五日だ。
当の本人は気がついていないのだが、月日が流れる中、アヤカの中では亡きユウキのことや彼との思い出が次第に美化されていっているのだ。ユウキと一緒に居られて幸せだった。今、アヤカはそう思いこんでいるのかもしれない。
だが、ユウキの生前当時はアヤカにとって毎日毎日がむしろつらい日々だったはずなのだ。そして、当然ながら今よりも更に小さかったナツミにとってもまた、そうだったのかもしれない。
(つゞく)