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連載「十九の夏」【第八回:花火大会本番】

 一発目の花火が爆発音をあげて夏樹や陽菜子たち含む観客の顔を照らす。ひまわりの花をモチーフにしたかのように多重に仕組まれた花火のようだ。夜空で爆発して大きく広がっていく。
「たーまやー」
 まずは陽菜子がそう叫んだ。

 二発目からは立て続けに。地面付近から急に飛び出した炎の粉が三段四段にもなって次々と爆発しつつ、減速しながら空を上がっていく。空の上で消えて小さめに広がる。
「かーぎやー」
 続けて、夏樹もそう叫んでみた。

 次から次へと花火たちが轟音を立てつつ、夜空を彩っていく。仕掛け花火も多く上がっている。みんなが知っているようなキャラクターをイメージした花火なんかが上がると、そこらじゅうから笑い声と驚きの歓声とが混ざって聴こえてくる。まるでお役所仕事のような、「彩り」のなかった開会セレモニーに対して、いざ打ち上げとなると相も変わって「彩り」も豊かな豪華版である。

 陽菜子がぼそっと夏樹を呼び、話しかける。陽菜子は花火の音の中でも、自分の声を夏樹に聞き取りやすいようにするためか、夏樹により近寄ってきたので、今、二人の距離は近い。夏樹のほうはというと、その距離の縮小にどうも気がついてはいなかったのだが。
「なっちゃん、炎色反応がどうとか考えているでしょ」
「ん、どうして?」
「化学の先生が言ってたんだけど、理系の人は花火を見ると炎色反応がどうとか考えちゃうんだ、って」
「化学の先生って飯泉(いいずみ)先生かい?」
「あはっ、違うけど。予備校のだけど。でも飯泉先生も同じようなこと言いそうだね」
ばけがくの先生だからね」
 飯泉先生とは夏樹たちの出身高校の化学の教師である。夏樹と陽菜子にとっては一年生のときの学級担任でもあった。中年男性の飯泉先生は「化学」を「ばけがく」と時折発音していた。それを最初に聞いた高校生は皆首を傾げてしまうのだ。しかし、これは同音異義語である「科学」との混同を防ぐため、「化学」を「ばけがく」と読む習慣のある人は特に理系の人だとよくあるハナシなのだが。要は、例えば「市立」を「いちりつ」、「私立」を「わたくしりつ」と敢えて変わった読み方をするのと同じようなことである。
「うぉーっ、話しているあいだにどんどん花火が上がっていくよ」
 夏樹がそう言った。そのとき、ひときわ多くの色を同時に使った豪華な花火が上がった。内側から外側に向かってまるで七色の虹を描くかのような。

 彩り豊かな花火の光がふたりを含む観客を照らす中、陽菜子がふと夏樹に質問をする。
炎色反応の覚え方ってなんだっけ?」
「なんでしょうかねー」
「水兵リーベ、僕の船……」
「それは、元素周期表の覚え方だろー」
「貸そうかな、まあ当てにすな、ひどすぎる借金……」
「それはイオン化傾向だねー」
「ひーん、覚えてなーい。教えてー!」
「えっと……、今は化学の勉強の時間じゃないよね。花火を見る時間だよね」
 夏樹は、せっかくの花火大会のあいだ、あまりにもしゃべりたがりのように思えた陽菜子に対してそう声を掛ける。今に集中しようよ、と言わんばかりに。
「そうだ、ね……、いけなーい、これも浪人生としての職業病だ……」
 陽菜子は少し夏樹との距離を広げた。そのときの夜空には、オーソドックスだけど大きな火の輪が広がった。

 それからしばらくは夏樹も、そして陽菜子も話を止め、夢中になって夜空を仰いでいた。どんどんといろいろな色の花火が上がって、轟音とともに、大きく夜空に広がる。だけれど、ものの数秒で消えていく。綺麗だけれど命は短い。それには儚さすら感じてしまう。人間の一生だってそういうものなのかもしれない、と。


 合計千発ばかりの花火が上がる予定だった今日の花火大会。それを全部消化し、花火大会が終わった。予定通りほんの小一時間の打ち上げ時間はあっという間に過ぎたようだ。

 夜空には沈みかけ始めている上弦の月、その背景に遥かな天の川が広がっている。さっきまでの喧騒のなかの夜空と比べればなんとも静かなものだ。さっきまでその夜空に釘付けになっていた人ヒトひとが続々と河川敷を移動していく。家族連れに若者の群れ、そしてカップルたち。もちろん夏樹と陽菜子のふたりも。
 多くの人が移動するので、トラブルなどの防止のために花火大会実行委員会が雇ったであろう警備員がほうぼうに配置されている。夏の日もとっぷり暮れた暗い夜道なので、足元に気をつけて列になって歩くようにと呼びかけている。
 観客だった人たちのそれぞれの話し声に靴の音、近くの車道を走る車の走行音。そんな音たちでザワザワとする中、往く夏を惜しんでいるのか、それとも来る秋を先取りしようとしているのか、あちらこちらの草むらからはキリキリキリと虫の音が聴こえている。
 花火大会のちょっとした余興だといわんばかりに、誰かが火を付けたであろう、ねずみ花火のシュルシュルと飛ぶ音も時折聴こえてくる。ただ、それは遊んでいる本人たち以外には特に興味や関心をもたれるものではなく、むしろ警備員の眼鏡を光らせようとするものになっている。

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