コハルの食堂日記(第13回)~今日は節分、明日は立春~
平成三十一年二月三日。今日は節分である。
日曜日のお昼の「味処コハル」。常連客を中心にいつもの賑わいを見せている。春子はそんな中「お客さま」のためにせっせと動いている。
客同士で節分のことが話題になる。テーブル席で相席同士、対面になっている大西と福原というふたりの男。ふたりとも年齢的には六十前後だが、筋肉質でいわゆる強面な大西に対し、「ちょいメタボ」で穏やかそうな印象の持ち主である福原。
大西が切り出す。
「今日は節分か。節分といえば、昔は豆をまいて鬼を追っ払う行事がどこの家でも行われていたもんだが、今では恵方巻を食べる日になってるってね」
おにぎりとセットになった、きつねうどんを食べている福原が返す。
「僕、恵方巻食べるのも楽しみなんだけどね」
「でも、さぁ、コンビニの店員とか大変らしいね。一人ひとりに恵方巻の売上についてノルマ課されるんだってよ」
「そうらしいね。僕の知り合いの娘さんがコンビニバイトでノルマ果たせなくて首切られたとか」
「それはそれは……。今日日アルバイト店員だからといってそう気楽なもんじゃないんだなぁ」
にしんそばをすすっていた大西が、呆れ半分といった口調でそう言った。
今日、忙しく動き回る春子に注文などの用件以外で声をかける人はいない。敢えて誰も声をかけないのだ。何せ、店の席の八割方は客で埋まっている状態。それだけ多くの「お客さま」に春子ひとりで対応しなければならないのだから。そのことはいつもと変わらないわけなのだけれど。
さて、「節分」の翌日は「立春」。逆に言えば「立春」の前の日として「節分」があるのだ。
というわけで、明日からは暦の上では「春」ということにはなるが、真冬の厳しい寒さは春本番に向けて、これからもまだまだ続くであろう。
そして、きっとお客さんの中でも知っている人は数える人しかいないかもしれない事実だが。明日、二月四日は春子の誕生日なのである。そもそも「春子」と名付けられた理由は二十四節気の「立春」の日に生まれたから、ということであるのだ。今年六十五歳を迎える春子。世間一般的には、もう仕事の「現役」から退いて、余生は年金をもらうなどしつつ「老後」の生活に入る人が多いという、いわば節目の年齢。区分上では「高齢者」になるものの、春子にしてみればそんなもの知ったことか、だ。
今年六十五歳になる春子だが、まだまだその夢は発展途上、人生はこれからなのだ。この先八十、九十になろうと。百になろうと。いや、たとえそれさえをも超えようと。春子自身が生きている限り、「味処コハル」を切り盛りしていくつもりだ。だって、「春子なくしてコハルなし」であると同時に「コハルなくして春子なし」なのだから。
「そういえば、勲君は誕生日いつなの?」
「十一月の三日です」
「へぇー。そういえば、十一月三日って『文化の日』で祝日だよね」
「そうそう、実は僕の『勲』という名前も文化の日に由来しているんですよ」
「えっ、なんで?」
「文化の日にはね、毎年『文化勲章』の授章がなされるでしょ。それにちなんで勲章のクンの字を取ってイサオになったというわけで……。ついでに、勲章を受けるほどの偉大な男になれっていう意味も込められているんですよね……」
「ちょっとむずかしそうだけど……、誕生日にちなんだ名前ってことなら、私もよ」
「春子さんも? あ、やっぱり春のうららかな天気の日に生まれたんですよね」
ふと、勲の頭の中に「春のうららの隅田川」の光景がかすめる。そこへ春子。
「全然。二月四日生まれだから」
「えっ? その時期はまだ真冬じゃないですか?」
「うふふ。よくそう言われるけどね。二月四日は『立春』なのよね」
「ああ、節分の次の日ですね。二十四節気では確かに春の始まりですね」
春子と勲。馴れ初めの頃、そんな会話を通じてお互いの誕生日を知ったのだった。