連載「十九の夏」【第十二回:帰省最後の日曜日(その二)】
夏樹は、陽菜子からのプレゼントをかごに入れた自転車を引きながら、陽菜子と歩調を合わせながら歩く。晩夏の夕陽を浴びた、見慣れてきたはずの街並み。富山を離れていたほんの数ヶ月のあいだの変更点、見慣れないものも時折目にはつくが。
やがて、昨日、夏樹と陽菜子が一緒に花火を見た河川敷の近くまで来る。河川敷のグラウンドで野球を楽しんでいる少年たち。日曜日の夕方の河川敷の歩道には人通りはそう多くないが、少なくもない。犬の散歩をしている人、子ども連れのお母さんなど。そしてカップルらしき男女も何組か見られる。
陽菜子が少年野球の方向を見ながらつぶやく。
「昨日であの花火大会が終わって……。そっか、もう来週から九月になるのかぁ。夏休みっていうのが終わっちゃうんだね」
「大学は九月いっぱい休みだよー」
「でも、なっちゃんの九月は車の教習とか教職講習とかで忙しいんでしょ?」
「まぁね、だけど、自分で決めた課題だもんね。あんまり長く休んでると身体も鈍りそうだし」
「あたし、受験生にとってはもう夏が終わって九月になるって聞くだけで焦るわよ。あと四ヶ月でセンター試験だもんね……、って四ヶ月しかないんだ!」
陽菜子は改めて指を折って確認する。九、十、十一、十二。年が明けて一月になればいよいよ大学入試が始まるのだ。続けて陽菜子が言う。
「あと、十二月にはあたしも誕生日迎えるし。十九歳のね。でも、今年はお祝いどころじゃないわ。もちろんお正月も……。次の誕生日らしい誕生日にはもう二十歳かぁ。せめて、成人式には大学生として出たいわよね……。だから次絶対に受からないとっ!」
「ひなちゃんなら、だいじょーぶ! もーまんたい!」
「だけど、おとなになるってあっという間なのね。子どもの頃は一日でも早くおとなになりたくて、なりたくて、たまらなかった。けど、よく考えたら人生おとなになってからのほうがずっと長いじゃない!」
「それでも人間はおとなになるまで二十年かかる。平均して八十年しか生きられないとしても二十年って人生の四分の一だよね。これが猫や犬だと十年以上生きるうち、実際うちの猫はもう十三歳だけど、子ども時代って一年ぐらいなんだよ。つまり子ども時代の割合は一生の十分の一よりも少ないくらい。なぜ人間はおとなになるのにこんなに時間が掛かるのってハナシになるんだよね……」
「でも、人間の子どものあいだってずっと学校ってのに縛られてるよね。小中高だけでなくて、幼稚園から始まって大学まで含めると、なんで二十年間近くも学校なんかに行き続ける必要があるのって思っちゃう」
夏樹の問題提起に対して、陽菜子が改めてぶつけた疑問。どちらも答えるのには難しい。十八、十九のまだギリギリ「未成年」の年頃だからこそ考えてしまうところのものだろうか。思えば、幼稚園に始まって小中高とずっと「学校」という空間内に「密閉」されてきたふたりでもある。
そこへ「夕焼け小焼け」のメロディーが流れてくる。もうすぐ五時だ。陽菜子が夏樹に訊く。
「まだ時間大丈夫かな?」
「うん、まだ五時になるところだし、あと一時間やそこらは……」
「そっか、でもなんだか寂しいよ……。明日からなっちゃん富山に居ないって……」
「夕焼け小焼け」の最後のパートのメロディーにエコーが掛かりつつ街じゅうに流れていくのに合わせるかのように、陽菜子が顔を急に垂れ下げた。夏のあいだは太陽を向いて元気に咲いていても、花の時期が終わると、その重い頭を垂れ下げていく向日葵の花の様子を早送りしたかのように。
「もう少し、もう少しだけでも一緒に居たかった……。でも、あたし浪人生だから勉強しないといけないんだけどね……」
夏樹がこの夏、富山にいたあいだにもリュックを取りに行った日のバスの片道、コンビニでパピコをふたりで食べた日、そのときからの約束だった昨日の花火大会、そして今日いまこのときと。たったの四回しか会ってはいないのだけれど。
「もちろん、なっちゃんにも予定とか都合ってあるし、あたしは浪人生で予備校もあるから、そう会ってばかりいられないけど……、せめてなっちゃんが同じ街に居てくれれば……」
あの明るい陽菜子だが、今の台詞の特に後半はすすり泣きそうな声になってしまっていた。それを聴いてしまった夏樹は九月にスケジュールを詰め込んだことを少しばかり後悔してしまった。今からでもキャンセルが効けば、九月の終わりまでなら同じ街にいようと思えばできるかもしれないけれど。
夏樹も苦し紛れに答えるしかない。
「大学に受かったら、またいくらでも遊べるよ。それこそ来年の夏はふたりでふた月思いっきり、ね!? 僕も今年免許取れば来年はレンタカーでも借りてドライブにも行けるし。とりあえず今は勉強に集中、集中、ね……!?」
「……ごめん、もう五時回ったし。あたし、明日の予備校の授業の予習しなきゃいけないから、今日はもう帰る。またね」
しかし、突然、陽菜子はそう言い切ってその場からまっすぐに「分岐点」の方向へ帰っていった。夏樹はそれを追いかけようともせず、ただ呆然と早足で去っていく陽菜子の後ろ姿を見守るしかなかった。陽菜子からのプレゼントをかごに入れた自転車のハンドルに両手を添えたまま、しばらく立ち尽くしていた。
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