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連載「十九の夏」【第六回:陽菜子との待ち合わせ】

 八月二十五日、土曜日。時刻は午後六時十五分になろうとしていた。今夜はかねてより夏樹と陽菜子が一緒に見に行く約束をしていた、地域での花火大会だ。
 七時半からの花火大会に向けて、ふたりの待ち合わせは六時半、分岐点のコンビニで、としていた。そろそろ家を出ないと陽菜子との約束には間に合わない。夏樹は家族にいってきますと告げて家を出ようとしていた。
「陽菜子ちゃんとのデート。楽しんできていいけど、羽目を外しちゃいけないよ。あと、これから暗くなるからね、気をつけていってらっしゃい」
 まるで若いっていいね、と言わんばかりの微笑みを浮かべながら母親がそう言って夏樹を送り出す。

 もうすっかり西の彼方に沈もうとしている夕陽がまぶしい。黄昏の街の中を、夏樹はひとり待ち合わせ場所のコンビニに向かって歩いていく。今日の花火大会はこの地域ではちょっとしたお祭り騒ぎである。近所でも外に出ている人たちが多く、てんでにゆるゆると花火大会の会場の方向に向かっている。
 夏樹の家から歩くこと約十分、待ち合わせ場所のコンビニの看板が見えだす。日の入りの前後の急に暗くなりだす時間帯で、辺りはぼやーっとした薄明になりつつある。そのとき、コンビニの角から夏樹に向かって手を振っている人影に気がついた。浴衣姿になった陽菜子だ。髪型は短めだがポニーテール風にまとめてある。浴衣姿の陽菜子を見るのなんて、夏樹にとってはもう幼稚園の夏祭り会以来といったところだろうか。学校が一緒だったこともあり、制服姿なら見慣れてはきたのだけれど。一方で、夏樹はというとTシャツにジーパンの、あくまでもラフな格好で出てきたのである。
 浴衣姿の陽菜子に向かって夏樹も手を振り返す。陽菜子との距離を一歩一歩狭めつつ、夏樹の心拍数は上昇していく。

「なっちゃん、お誕生日おめでとう!」
 陽菜子の夏樹への今日最初の台詞は、誕生日を祝う言葉だった。そう、今日八月二十五日はちょうど夏樹の誕生日であるのだ。
 今日は誕生日、十九歳の誕生日であること、それをそう意識していなかった夏樹だが、陽菜子が覚えてくれていたことにも驚きをおぼえつつ、夏樹は答える。
「あ、ありがとう、覚えていてくれたんだね。十九歳、かぁ」
「十九歳、だね」
「未成年最後の一年かぁ。子どもっぽくしてられるのも今年で最後だなぁ」
「あはは、それはまだいいんじゃない?」
「ところで、北村さんって誕生日いつなの?」
「覚えてない?」
「ごめんね、確認させて」
「十二月十四日」
「ああ、十二月、だったね。年末なんだね」
 幼稚園の教室の壁に貼ってあった誕生月ごとの「おたんじょうびのおともだち」の掲示をなんとなく思い起こす。八月生まれの夏樹はおそらく海をイメージした色画用紙の上に、十二月生まれの陽菜子はおそらくサンタさんかクリスマスツリーをイメージした色画用紙の上に、それぞれの名前が書いてあったかもしれない。
 陽菜子がつぶやく。
「誕生日が来たら、すぐクリスマス。そしてまたすぐにお正月だもん」
「そのへんのプレゼントごっちゃにされた口かな」
「そうなのよー。あははっ……」
 ちょっと苦笑いを浮かべる陽菜子。続けてこう言う。
「あたしも今年で十九。イヤだなぁ、歳取るのって」
「まだ、そう言う歳じゃないだろー。ましてや僕ら未成年なんだし」
女性にとっては切実なの。それにあたし浪人だし……」
 自分の浪人生という立場を改めて認識したのだろうか、にわかにちょっと顔を曇らせつつある陽菜子だった。

「浴衣……」
 間がそう空かないうちに、夏樹は一単語だけの台詞をそっとつぶやいた。
「うん。浴衣、着たかったんだ。花火大会でね。ずっとね……」
 陽菜子も少し照れながらそう答えた。
「似合っているね……」
 夏樹はちょっとモジモジしつつ「浴衣」に連結する台詞を言った。
「あはっ、そうかなぁ……。ありがとうね」
 陽菜子が答えた。陽菜子の浴衣は、朝顔の花をモチーフにした薄い青を基調とする、そう派手でもない柄である。夏樹の初なハートを撃ち抜くにはそれでじゅうぶんではあったが。

「だんだん混んでくるし、行こっか?」
 夏樹がそう言った。一時間前の待ち合わせとはいえど、地域の花火大会とはいえど、それなりに人は集まる。せっかくの花火大会、場所取りというわけにはいかなくとも、立ってでもできるだけよく見える位置から見たいものだから。
「そうだねー、じゃあ、なっちゃんについていきまーす」
 陽菜子がそう答えた。夏樹と陽菜子、ふたりはコンビニの前から花火大会の会場であるこのあたりを流れる川の河川敷へと向かう。そう大きい川でもないけれど、広い河川敷。ふたりの通っていた小学校のグラウンドも河川敷に面している。

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