見出し画像

コハルの食堂日記(第11回)~新しい年が来た①~

 新しい年、平成三十一年、西暦二〇一九年が始まった。
 今年は平成最後の年、だとのこと。二〇一九年の一年は当然十二ヶ月あるが、平成三十一年は四ヶ月で終わり、五月から新しい元号に変わるとのこと。

 平成三十一年のお正月、つまりは平成最後のお正月。「味処コハル」も例年通り、大晦日と正月三箇日の計四日間のみのお休みを取っている。扉が閉ざされた店の前には注連飾り、そして「新年は四日より通常営業いたします」との告知を兼ねたお年賀のポスターが貼ってある。
 そんな束の間のお休み中の元旦。店舗二階の米倉家の住居にて、春子は夫・勲と夫婦水入らずのひとときを過ごしている。
「そういえば、今更だけど……、新しい元号って何というのになるんだっけ」
 春子はお節を突きつつ、こたつをはさんで対面に居る勲に疑問を投げる。
「いやぁ、まだ発表されていないはずだろ」
「あら、そうなのー? もう天皇陛下が退位されることが決まっているのにねぇ」
「まぁ、宮内庁にもいろいろな事情があるんだろ。俺たちは関せず、だとしてもな」
「平成のときはいきなり決まったから……」
「昭和天皇が亡くなられて、即日で決まったからな。明日から平成ですよ、といわれて今なんか以上の混乱じゃなかったかな」
 昭和が終わり平成元年を迎えた頃、勲は既に大学は卒業していて、システムエンジニアをしていた。当時三十歳である。その頃にはそこらへんのシステム改修にも、仲間と一緒に四苦八苦していた。そんな記憶が蘇る。
 そこで春子は伊達巻に箸を入れながら、口を開く。
「私がエラい人だったら……、そうね。夢元年なんて付けようかしら」
「それは、ちょっと。というか、かなり違和感あるな……」
「夢多き時代になってほしいわね。平成は多くの夢が絶たれた、絶たれざるを得なかった。そんな時代でしたもの」

 平成の約三十年間のあいだにも、節目となる年越しがあった。
 西暦二〇〇〇年、いわゆるミレニアムイヤーの到来。そして翌二〇〇一年、二十一世紀の到来だ。
だが、日本の和暦ではタダの平成十二年、平成十三年に過ぎない。
――あのときこそ、千年に一度のミレニアムイヤーだ、世紀の変わり目だ、とか騒いでいたけれど、私たち頑張っても百年生きられるかどうか。まして、千年なんて絶対に生きられない。だから、千年に一度なんていわれても実感わかないじゃないの。
 春子はそう考えていた。

 二〇〇〇年のお正月、勲は仕事だった。システムエンジニアであるだけに、かねてより予想されていた「コンピュータ二〇〇〇年問題(Y2K)」への対応のため、会社で待機というかたちのまま、千年に一度の年越しをさせられたのである。更にそれに先立ち、Y2Kの完全回避を目標に、前年の一九九九年にはあちこちのシステムに問題が予想されるので改修すべきだ、という点が山ほど指摘されていた。そのため、とくに年末に近づくにつれて、勲は遅くまでの残業続きの日々に耐えていたのだ。
 春子のそういったミレニアムイヤーに対しての冷静な思いは、その年に勲と夫婦水入らずの年越しができなかったゆえ、なのかもしれない。

 それにしても「昭和」が終わって始まった、この「平成」という時代とももうすぐお別れ。今年二〇一九年は五月一日から遂に新元号である。
 春子や勲の「生まれ故郷」であるはずの「昭和」は遠くなりにけり、だろうか。ところが、このお店もまた「昭和生まれ」なのである。そこで、なんだか年食っちゃったなぁ、という思いと、この店「味処コハル」もまた、みっつの時代をまたぐ由緒正しき「老舗」となるのだと宣いたくなる思い。その両方の思いが交差し、なんとも感慨深いと春子は感じる。 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?