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連載「十九の夏」【第十四回:春のエドリカで】

 春がまた来た。四月に入って一週間あまりのときが過ぎた。夏樹は大江戸理科大学、通称「エドリカ」の二年生になった。二年目の授業も今週から始まっている。まだ初週なのでガイダンスが中心なのではあるが。もちろん大学の勉強も一年目よりも格段と難しくなる。留年率も結構なこのエドリカで振り落とされずに着いていくには相当の努力が必要である。

 さて、今学期の夏樹の時間割、金曜日の五限目は「火の歴史と科学」という全学部共通の教養科目である。一般的に、専門科目ではない、教養科目に対しては学生からも比較的単位の取得も容易いと思われ、重要視されない傾向にある。おまけにエドリカでは教養科目の開講日は金曜日なので、月曜から木曜までみっちり専門科目の勉強をしたところから、金曜日は週末を前にリラックスして授業を受けようという態度でいる者が多いようだ。
 ただ、教養科目を担当する教員も、大学教員であるだけに自身の講義や専門分野に対して高いプライドを持っているのは変わりない。授業に出てこなかったり、出てくることには出てくるが甘く見るような態度で授業に臨んだりする学生には容赦なく「不可」の評価を下す教員が多くである。

 そのエドリカでの金曜五限すなわち一週間の最後の授業のひとつ「火の歴史と科学」の第一回の講義が今終わったところだ。とはいってもまだ初回なので一学期を掛けてどのような講義を行っていくか、というガイダンス的な説明が中心ではあったが。金曜日の最終時限が終わり、週末が始まろうとしている。授業を真面目に受けていた夏樹、そして同じく授業を真面目に受けていた隣の席の女子学生が揃って立ち上がる。
 彼女は北村陽菜子、十九歳、富山県出身。大江戸理科大学薬学部の新入生だ。そう、夏樹の幼馴染の陽菜子は一年浪人した末、エドリカに合格し、夏樹の後輩として入学してきたのだ。

 理系はとても無理そうだった陽菜子がエドリカに入ることになった。夏樹が春休み中だった三月の半ばに入ったその報せは夏樹にとってみても驚くところではあった。とりあえず、引っ越しの手伝いをしてあげたり、買い物に付き合ってあげたり、なんだりと、力を貸してあげることができた。先輩として、幼馴染として。
 陽菜子が話し始める。
「でも、火についての講義だっていうから、炎のように燃える熱血教師なのかなとか思ってたら、全然そうじゃなかったし」
「あはは、何だ、それ。でも先生方、特に大学の教員ともなれば、みんな自分の専門分野には炎のような情熱を持ってるだろうよ」
「シラバス見て、花火についての話もやるっていうから、気になってこの授業受けてみようと思ったんだ」
「へぇー、もしかして、ひなちゃんが薬学部選んだのは、やっぱり火薬とかの研究をして花火職人にでもなろうかと思ってのことなの?」
「あはは、違うよ。薬剤師さんへの憧れみたいのがあったから」
「ひなちゃんの夢は薬剤師さん、なのかぁー」
「うん、そうだねー。そのためには、これからいっぱい、いっぱい勉強しなくちゃねー」
 陽菜子もとりあえず大学生として最初の週を消化した達成感に満ちているようだ。

 ふたりは教室を出て、春の夕暮れに染まる屋外へ出る。入学式の行われた日にちょうど満開の花を咲かせて、新入生を祝ったエドリカ敷地内の桜の木々も日に日に散り始めている。キャンパス内のあちらこちらの地面という地面を桜の花びらが覆い尽くしている。もうじきに葉桜になってしまうであろう。それにバトンタッチするかたちでツツジの花が花盛りを迎えるだろうが、桜以上の人気や関心を集めるところのものではない。

 陽菜子が話し始める。
「そうそう、学科のオリエンテーションの自己紹介で富山県出身ですって言ったら、富山県出身の人があたしのほかに三人もいた! おまけに担任の先生も富山で働いていたことがあるって言われたし」
「おおっ、さすが『くすりの富山』だな。僕の学科の同学年で富山から出て来てるの僕だけだぞ」
「でもさ、さっきの授業の教室になっちゃんも居たからびっくりしたなー。先輩、再履修っすか?」
「違うよ。あの科目全学部・学年共通の選択科目だから。僕が一年のときに履修しなかったやつだからね」

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