15分で考えられない道東の未来
100日目、 25時間目。
「15分で考える道東の未来」というnoteを今年はひたすら書いていました。コロナ禍のステイホーム期間中になにを血迷ったか始めた、このマガジン。忙しなく日常の中で「とりあえず15分だけと決めた時間の中で立ち止まって考えたことをつらつらと書く」というもの。途中で「あれ、通算24時間いけんじゃね・・・?」とか「あれ、100/365いけんじゃね・・・?」とか欲をかいたところ、15分でまとめる&手数も多いので、想像通り毎日の思考のおならみたいなものひたすら書き溜めるものになってしまった。暇っつーのはよくないもんですね。そんなことをひたすら書きためた100日目のメモリアルです。最後の今日は長い。15分のルールを無視して書きました。
数日前、友人の訃報が届いた。
青天の霹靂、というよりは、ある程度、もしかしたらという気持ちをいつも心のどこかで持っていた。
でも元気な姿を見ていたし、いつも、どんな時も、最後は前向きな言葉で結んでくれていたし、こんなこともあるかもしれないのに、どこか現実味のない感覚を持っていた。そしてそれは今も変わらない、実感は今も湧かない。
友人の名前は川口洋史くん。同じ北見出身で常呂の漁師の網元の生まれ。
少しだけ年上のお兄さんで、友人で、同志で、置いてかれないようにと思っていた人。
以下は、川口くんに贈りたい。
川口くんと出会ったのは2012年。8年前。
おれが北見に戻ってきたその年に会ったんですよ。おれが24歳、ってことは川口くんは28歳?わかいなー
あの頃、そう、まだリュウがいた頃です。ロングサイドの二階にアイツ住んでて。アイツ、わやだったっすね。
おれもリュウと知り合って数日くらいの時に連絡きて。「今日漁師の友達が魚持ってきてくれるから飲もう」って誘われて。
その時会ったのが川口くんです。あの時スナガレイだったかな?持ってきてくれて、せっまいあのワンルームで捌いてくれたんですよ。
リュウはクソみたいなやつだったし、周りから金借りて飛んだ時にはみんな参ってたけど、川口くんもあの時、割食ったっすよね?
でもこういうきかけだったなと思うと、なんかそれも今はいい思い出だなって思えます。
そうそう、川口くんと古い思い出はku-kai?で。
よくあの頃、番外地でも会ってて。おれ営業回りしてる時に川口くんの車停まってるの見かけて、Uターンして店行ってサボってたこともあったなあ。
そんな時いきなり行ってもめっちゃ喜んでくれて、後から勝手に付いて行ったのにおれの分までいっつも出してくれてたんですよ。
北見に来た時には毎回番外地に行くって言ってて。リスペクトしてた澤目さんと、パーティーやろうって。
川口くんが獲った魚を川口くんが料理して、食いながら踊る。
最初は川口くんの実家でやったんですよねえ。それもたぶん2012年とか2013年とか、そんなカンジじゃないかな。
札幌で知り合った友達とかも連れてきたりして。ウケるメンバーだったっすよね。あの夜も忘れられない。キャッツでやったりとかもしましたよね。
「札幌の人で仲良くなって、めちゃイケてる店やってる人いて、そこでku-kai?やるんだよね!」
って言った時、正直全然札幌も札幌の人も知らなくて。住んだこともないし、学生時代バスケの大会で行ったとか、そんくらい。
「ああいいっすね!とりあえずなんでもやります!」って言ってわけわからずノコノコついて行ってたんです。
でもあの時、初めて龍太さんに会って、PROVOに行って度肝抜かれて。
龍太さんのファーストインプレッション、やばかったなあ。どんなこと言っても瞬時に予想だにしない返ししてくる人に初めて会ったなと思って。
朝方、龍太さんに「何言っても予想してたかのような返してくるじゃないですか!」って謎にキレた思い出あるな笑
でもそんな龍太さんをちょっとクスってさせた時には一本とった!みたいなこと思ったり。
2回目でしたっけ?大地の手伝いでたけしがシーシャ出しに来てくれて。
そんなたけしが今は船乗ってるんですもんね。しばらく会ってないけど、なんか川口くんのこと話したいし、年明けたら誘ってみますわ。
あの年は行き帰り北見から2人で行きましたよね。
寸胴ごと凍らせたスープカレー仕込んで、毛布でグルグル巻きにして二つ、ボウルいっぱいのパテと荷台に積んで走って。あれ、うまかったなあ。また食いたかったなあ。
龍太さんやしんちゃん、ももちゃん、えみちゃん、そしてタクローくん。
自分にとってはじめての札幌の友達や、ゆかりのある場所ができたのは川口くんのおかげだったんですよ。
今も札幌行った時はほぼほぼ行く。なんかの会の終わりでも首の皮一枚なんとかたどり着く時もあるし、前にお付き合いしてた彼女と出会った日に行ったり。自分にとって数少ない札幌のホームになったんですよ。
ゆうくんとはよく三人で話しましたよね。三人で飲みにも行ったし、それこそみんな地元に戻ってきてすぐに会って、もうそこそこ長くなるっすね。
なんか会合ある時もすぐ三人で固まって話し込んでしまって。「おまえらいい加減バラけろ!」って怒られたこともありましたよね。
川口くんとゆうくんは同い年で、少し上のお兄さんたちっていうのもあって、おれはいつも2人の熱い話をウンウン聞いてるだけだったような気がします。熱意を持って真っ直ぐに自分のやってることを伝える。
なんかおれはそういうのが苦手で、なかなかできなくて。2人のそういうところめっちゃ羨ましいなって思ってたんですよ。そんな2人のこと、1988で同じ号で書けたのめっちゃ嬉しかったなあ。あの号、1988の中で一番いい出来だったと思ってるんです。
なんか真っ直ぐに臆さず伝えるってエピソードだと、BOSSさんと会った日のこと覚えてますか?
アズーロで飯食ってて、そしたらBOSSさんいきなり入ってきて。
おれも全然そんなつもりじゃないから、ドギマギして挨拶だけしたんですけど、そしたら川口くん「あれ、BOSSだよね?なんで?今北見いんの?」とか本当、聞こえるくらいの声でヒソヒソ話してきて。ヒソヒソ話も下手だったなあ笑
BOSSさん、新聞読みながらコーヒー飲んでて、話しかけんな的な雰囲気だったんだけど、次の瞬間にはBOSSさんのテーブル行って「俺、こういうパーティーやってるんすよ」とか言ってフライヤー渡してて。
BOSSさんも「あ?おお、ありがとう」くらいのテンションだったのに全然ひるまず。マジでそのメンタルすごいなと思いました笑
なんか、本当そういうまっすぐな人でしたよね。思い出すのってそういうことだなあ。
カレーも一緒に作ってくれて。ワッカマツリの時、2018年かな。
なにか雲ブースの手助けできないかなと思って、やったことないのにカレー作って出そうと思うって相談したんですよ。魚食系スパイスカレー。
そしたら川口くん二つ返事で「いいね、やろう!」って言ってくれて。
おれはひたすら玉ねぎ炒める。川口くんは魚捌いて継ぎ足し継ぎ足し出汁をとる。すっげー大変だし、全然原価のことも考えてなかったから、めっちゃうまかったですよね。やりたいとか、相談とかは本当どんなことでも快諾してくれたし、応援してくれましたよね。
なんかおれ、川口くんに何できたんだろうなあって考えてたんですよ。なんかいつも応援してもらってばっかりで。何かお返しできたかなと。
もっといろなことできたよなとか。そんなこと今更言うの御法度なんだけど。できなかったのが実力で。情けない。
でも、おれ思うんですけど、川口くんは幸せだったんじゃないかなって思ってるんです。
もちろんやり残したことも、やりたかったことも、心残りも辛かったことも、特に最後の闘病生活とか、大変なこともたくさんあったんだろうけど。
でも、思い出す川口くんはいつも全力で、まっすぐで、今できることを全うしていたような気がする。
続きにはストーリーはあったはずだけど、現時点でのこれ以上というものはなかったんじゃないだろうか。
生きるってことは、きっと何かを残すこと。
これからきっといろんな場面で川口くんを思い出すことがあるんだと思う。川口くんがいてくれたら、とかそんなことも考えるんだろうと思う。
でもそんな時に川口くんが残してくれたものや熱意やイズムがそこに投影され、残って繋がっていく。
残していくために、いろんな手段で伝えていかなくてはいけない。
そんな意味で.dotoの中に川口くんを残せたことは本当によかった。
阿部さんやツッチーやめいちゃんのおかげさまで、あの日あの時生きた証が.dotoには刻まれている。
三人とも川口くんにもらった牡蠣や帆立やタコ入れて食べた鍋が忘れられないって連絡くれました。おれらのなかにも、しっかり刻まれていますよ。
「道東で、生きている。」
イントロダクションで書いた文字通り、この本は数え切れない人の生き様が詰まっている。
「楽しく生きる」ということは状態ではなく、「楽しく生きた」という結果なんじゃないかと、この数日考えている。
そんな瞬間を何回つくれるのか。振り返った時に何回思い出せることがあるのか。そんなことで人生の豊かさは決まる。そんなことに気づかせてくれて、恥ずかしい生き方できねえなって改めて思わされました。
「川口くんの分まで」なんて大層なことは言えないけど、おれも頑張って生きますね。
川口くん、今までありがとう。安らかに眠ってください。
ツッチーが撮ってくれた写真、すっごくいいでしょ。落ち着いたらお父さんとお母さんに届けておきますね。
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