新型iPad Pro発表を受け

いささか感情的に、2016年頃のことを思い出している。
離島に赴任して、趣味のバンド活動を離れ、職場では子どもたちが一人一台のiPad Airを持っている。
そんな時期、私がこの世界を生きる喜びは、iPadに支えてもらっていたと思う。
iPadは、現実世界の愛し方を豊かにしてくれる道具だと思っていた。
GarageBandは、曲を書くこと、楽器を弾くこと、演奏技能を磨くこと、音を集めることの楽しさを思い出させてくれた。
カメラは、(まぁiPhoneや一眼の方がよく撮れたけど)、撮影した写真の使い方を広げてくれた。

その後もApple Pencil、ARや空間コンピューティングと現実を豊かにしてくれる期待に溢れたテクノロジーを手頃に提供してくれたのがAppleだった。

同じような表現が多様にあるなかで、プレスする、破砕するということをあえて企業として選んだということがただひたすら悲しい。

まぁ企業があるコンセプトで売り出した商品はコンセプト通りにしか使えないわけではないのだけれども。

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