橘の香

6時50分。カーテンから漏れる日差しに起こされる。
今日は病院に行かなきゃいけないので午前中までに後回しにしていた家事を片付けたい。
母譲りで私は昔から寝起きがいい。目を開けて朝になったことを確認したら
布団をバッと除ける。そのままベランダの窓を開けて外の空気を吸う。
ほんの少し冷たい空気と、スズメの鳴き声しか聞こえない静かな朝が私は好き。
「あっ、5月の匂いだ。」外の空気を吸った途端そう思った。
昨日は、夜中に雨が降ったらしい。
強い日差しが湿った土を乾かす香りがする。
学生の頃、運動会の練習中によく嗅いだ香り。
私の学生時代、運動会は5月に行われていた。
今頃、実家近くに暮らす従妹たちも運動会の練習を精一杯やっているのだろうか。
あの子たちが精一杯学校行事に取り組んでいるところを想像するだけで愛おしい。ああ、実家に帰りたい。大阪に出てきて4年。
未だに関西弁が染みつかず、標準語で話している大阪の21歳の女は私しかいないだろう。出身は熊本なのに、方言じゃないんだね。とよく言われるが、熊本でも上天草出身の私の方言は沖縄弁くらいに分かりにくいかもしれない。
だから、少しでも関西の方々に親近感を持ってもらいたいために、標準語にしている。標準語ならまだやれる。熊本の皆は今頃なにしてるかな。
実家の暮らしを思いながら、網戸に変えて、コーヒーを煎れる。そのまま洗濯物を回して、終わるまで本を読む。
朝のスマホは鬱陶しいので、私は本を読むことにしている。
風の音、紙を触る音、洗濯機の水の音、紙のにおい。コーヒーの香り。
この世界に私だけかもしれないと思わせてくれる好きな時間。
いつも1人だけど、1人と孤独は違う。これは1人。好きな時間。孤独は嫌い。大嫌いだ。
そんな朝は、くどうれいんさんの本を読む。
彼女の本を読むと寂しさが消える。
友人と近況を交わしているような感覚で、言葉や伝え方に「ああ、いいな」と魅力を感じながら本を読める。他愛もない日常をあんなふうに形に残して、愛おしく思いたい。
彼女の本を読んで心地よさを感じているうちに、洗濯が終わった。
洗いたての柔軟剤の香りに癒されながら、物干し竿に1枚ずつ干していく。
少し前まで付き合っていた彼の洗濯物を干していた時の記憶がうっすら浮き出てくる。彼との恋愛は楽しかった。彼が浮気をしても彼の側に居たいと、私は彼から離れようとしなかった程に。私が彼から離れなかったように、彼も私と浮気相手を手離そうとしなかった。それでもよかった。好きだと思う気持ちがあるのに、離れることは私には間違っているように思えた。自分の気持ちを誤魔化せない。
でも、彼と居て浮気がわかる前のような楽しさやキラキラが感じられることはもう二度とないことは分かっていた。それでも、一緒に居た。
一生同じ熱量で好きでいられるはずがないのなら、今彼を思っているうちは離れなくてもいい。
時間が経てば、恋心も無くなる。そう思っていた。
浮気をされたことで失うのは、恋心が無くなったときに一緒に居たいと思えるような人ではなくなってしまう、つまり結果的に未来が無くなるということだと学んだ。
結局そんな彼との最後は、「明日もし死んでしまうとしたら、彼を愛していたことに後悔しないか」という酔っぱらった私の勝手な判断基準のもと、静かに彼の連絡先を消して終わった。
酔いがさめても後悔はしなかった。
いつの日も、今の自分にとって何が幸せなのか。という問いを持ち続けて生きていたい。世間一般的に言われる幸せと自分の幸せが異なることが多々あるなかで、自分は何を求めているのかは自分で判断する。それが正しいか否かは第三者の声を聞いて学べばいい。ゆっくりでも、自分のペースで前に進めたらいいと思う。
私は朝からそんな重たいことを考えていた。
洗濯物を干し終えたころ、10時15分だった。
午前診療に間に合うだろうと思い、午後に向かうはずだった病院の予定を前倒しして、家を出た。
ノーメイクだけど、病院だしいいよね!と、
KANA-BOONのシルエットを聴きながらノリノリで歩いた。
「いっせーのーせー♪で踏み込むゴールライーンー♪」
大阪に来てからこの歌を何度聞いたかわからない。
「くっそー!人生うまくいかないっ!」と悔しくなった深夜に、
ベランダに出て、誰も通らない道に向かって、
東京ドームを思い浮かべながら、KANA-BOONになったつもりで
イヤホンをしながら口パクで歌うという狂気的な行動に出たことがあるほど
この歌が好きだ。病人のくせに、走って病院に向かいたくなる。
この曲を聴けば、精一杯生きる若者と、またそれを応援するその人の大切な人たちを自然と思い浮かべてしまう。病院につき、いつもの先生と他愛もない話をして、待合で時間を潰していた。隣に座っていた優しそうなおばあさんを見て、
熊本のあーちゃんとじぃを思い出して会いたくなった。
地元に残ってほしいという家族にわがままを言って、言うことも聞かず、実家を飛び出した。そんな私に呆れながらも、遠くから応援してくれた。
電話で話すと「ちゃんと飯は食いよっとか!」「また肉ば送るけんない、負けてたまるかて思わんば!」とあーちゃんは仕送りの準備を始め、じぃは上手く呂律が回らないながらも「わっ(ちあり)に不可能はなかけんない!ばってん、あんま無理はすんなぞい!」と大きな声で伝えてくれる。
「わかっとるよー!笑笑 んならまたね!笑」と電話を切るたびに泣きじゃくる。
あの頃、1人でも大丈夫だよ!と家を出た私が、とても浅はかだったことを今になって深く思う。
あの時はまだ20歳で、ちょうど21歳になろうとしていた。あれから1年間社会人として大阪の街で、1人で、生きてきた。想像以上に辛かったなあ。帰ったらあーちゃんとじぃにまた電話してみよ。はやく夏休みこないかな。会いたいな。
「中村さーん、お薬ご準備出来ましたー!」
優しい薬剤師さんが薬の説明を一つ一つ丁寧にしたあと、「お大事に」と手を振ってくれた。
病院の帰りに、花束を買った。
自分でお花を選んで、店員さんにそれっぽく束ねていただいた。
明日は晴れるかな、雨になるかな。
この季節の天気はころころ変わって面白い。
夜中に降った雨を、明るい日差しで照らしてくれた今日の天気は好きだった。彩るのも、またそれに魅力を感じるかどうかも自分次第だと思いながら、淡い青色の空にオレンジの雲が混ざった夕方、花束を花瓶に飾った。

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