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「モズラーの名刺」・「スペンディング・ファースト」の真相

 いわゆる「モズラーの名刺」モデル。

 1993年に書かれた Soft Currency Economics(W.B.Mosler) において初めて発表されたこのモデルは、何を説明するものだったでしょうか。

 本エントリの目的はこのことを簡潔に伝えることです。

 まずはマンガ(四枚)を楽しんでください(自分のサイトで公開したのと同じものです)。

国債は排水口(ドレイン)のようなもの

 最後のオチ(?)がポイントです。
 カードが集まる箱には何やら小さく文字が書かれています。

 「ママ債」と書かれている箱の名前、これが「国債」のイメージです。
 排水口の感じが出ているでしょうか?

 この「排水口」という表現が、「現代貨幣理論入門」の著者となるレイに思考の転換を促したのでした。その話は別エントリ()で説明しています。

 本稿では国債ではなくベースマネーに注目します。

貨幣乗数理論(信用乗数理論)への批判

 ベースマネー、マネタリーベースというお金の把握の仕方がありますね。
 MMTに関心のある方は聞いたことがあるでしょう。
 
 ぼくもこんな絵を描いたことがあります。
 (変な考え方の紹介、という意味で)

 その把握の仕方が明確になったのは1900年代(20世紀)の前半、金本位制の時代が終わろうとする少し前。

 金本位制の時代は、中央銀行が地下の金庫に保有するゴールドが「貨幣の元」とされ、「貨幣はゴールドに対して何倍発行される/発行できるのだろうか?」という問いを立てる「理論」があったのですが、同じような考え方で、ゴールドを置き換えるものとして「”ベース”マネー」「マネタリー”ベース”」という概念が発明されます。

 なかでもシカゴ学派はこれを「ハイパワードマネー」と呼び、”マネーの中でも特に威力があるもの” という見方を広めました。たとえば1965年のこれ。当時最新の理論だったことが感じられます。

 そしてその後日本の経済学者に紹介されていきます。のちのいわゆる「リフレ派」のような考え方も、その延長線上にあるといえるでしょう。

 いま遊びで検索してみて驚いたのですが、今もそういう考え方が残っていてクラクラします。フロギストン説や天動説の説明がまだ現役なんだ!みたいな。

このように、1単位のマネタリー・ベースの増加に対し、その何倍(>1)もマネー・ストックが増大するのは、信用創造の仕組みが働くことによる。

 あははー

 というわけで、こうした「貨幣数量説」的なものの見方は根強いものがあるのですね。

 だいたいにして、日銀などが貨幣量の集計(M1、M2、M3)を今もせっせとやり続けていることがその根強さを物語ります。

ハイパワードマネー(ベースマネー、マネタリーベース)の真実

 モズラーの名刺モデルは、ドレインという表現を使ってこの理論をひっくり返しているのですが、それはどのような論理なのでしょうか?

 それは、一般に「ベースマネー」「マネタリーベース」と呼ばれているものが、上のマンガの中の何に相当するかを考えるのがよいと思います。

 「それ」がどこにあるかわかりますか?

 それは、最後に箱に入れられず、子のポケットにわずかに残っているカードなんです。

 経済学者が「(ゴールドのように)ベースになるもの」と考え、「ハイパワード」とまで命名し統計を集めてせっせと数えていたその量は、本質的には「政府支出で生まれ、徴税で廃棄され、金利によって排出されたあとでなお、残っている量」のことじゃん、と。

 経済学者が「原因」として把握するその量は、「原因」ではなく「結果」です。
 彼らのやっていることは、ちょうど「ものが燃える現象の原因を、燃えカスに求めようとする」トンデモ科学と同じです。

 というわけで、モズラーが1993年に書いたのはそうしたトンデモ科学批判だったので、名刺モデルも国債による通貨のドレインまで説明しないと片手落ちになるんです。

 しっかり書いてあるんだし。

 何しろ「国債をもっと発行しろ」というヒトが「モズラーの名刺」を使っている始末。

「スペンディング・ファースト」は「国債・ラスト」

 「スペンディング・ファースト」はMMTの人が強調するキャッチフレーズですが、始まり(ファースト)が政府支出だとすると、最後(ラスト)は何でしょうか?

 マンガで明らかなように、それは「借入」と呼ばれている国債ですね。

 ベースマネーと呼ばれるものは「政府支出で生まれ、徴税で廃棄され、金利によって排出されたあとでなお、残っている量」でしたから、正しい順番はこうです。

  1. 政府支出 ←ファースト

  2. 徴税

  3. 利子で排出 ←ラスト

 一般的には「財政支出を制限しないと国債が発行できなくなる」と言われていますよね。
 しかしそれはまるでおかしいのです。

  1. 徴税 ←?

  2. 国債 ←?

  3. 政府支出

 ↑ これは論理的に成り立たない。政府支出がなければ徴税も利子を払う対象も存在することができません。

 諸星たおさんが書いていましたが、役人はいつも「これ以上国債発行できないから予算抑えるしか無い」と言うのだと。

  親が(政府日銀が)、金利をプラスにしたいのであれば「ママ債」の箱を置くしかない。
 その箱に書かれている文字は「国債」かもしれないし、「財務省証券」「リバースレポ」「中央銀行債」「超過準備付利」かもしれない。

 政府の役人は、自分たちでプラスの利子制度を是とし、マネーが自然にドレインされる受け皿の箱(国債ファシリティ)を事実上常設しているにもかかわらず、「お金を出すと集まらなくなる」というようなことを言っている。

 水は重力によって高いところから低いところ(排出口)に流れるのと同じように、支出されたマネーは、利子の作用によって排出口に流れるだけ。

 スペンディング・ファーストとは、コクサイ・ラストっていう話でもあるというわけ。


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