鮭が川に帰るように
人は酒がめを背負って生まれてくる、という話を聞いたことがある。酒がめの中には、その人が一生の間に飲むことのできる酒が入っているのだと。もしそうだとしたら、いま私が背負っている酒がめの酒は、残りわずかになっていて、振ればちゃぽちゃぽという音が聞こえるに違いない。相当な量の酒が入っていたはずなのに、ほとんどを飲み尽くしてしまった。
酒が好きというよりは、酔うために飲んでいた。酔えば心の底にたまった滓を、紛らわせることができたから、日本酒でもワインでもウィスキーでもバーボンでも、酔うことができればどんな酒でもよかったのだ。だが、生まれ育った灘の酒にはほとんど手を付けることもなく、心身ともに神戸から離れてしまっていた。
数年前のこと。学び直したくなって入った大学での卒業論文のテーマを考えていた時、「日本一の富豪村」と呼ばれた地元について研究してみようと、ふと思いついた。明治後期から昭和初期にかけ、大企業の創業者たちが集まり住み、独自のコミュニティを形成した「日本一の富豪村」。そのベースには、江戸時代から続く酒造家たちの財力や文化力があったことを初めて知り、生まれ育った地域の厚みを痛感させられたのだ。
そんな時、京都で伏見の酒を飲んだ。確かにおいしかったのだが、それはあまりに柔らかく、私の思う日本酒ではなかった。私の知っている日本酒は、キリッとして清々しい辛口だ。それは硬水で醸された灘の酒の味であり、軟水である伏見の酒の味とはまったく異なる。灘の酒をほとんど飲んだことがなかったのに、なぜそう感じたのだろう。生まれ育った川に帰る鮭のように、人もまた、育んでくれた水の味を覚えているのだろうか。
このたび、料理研究家である白井操先生の著書『兵庫の酒がつなぐ30の物語 その土地に米と人あり』を拝読し、その思いはさらに深まった。兵庫県下の30の蔵元の方々のお話には、歴史と伝統、革新の心が満ちており、酒造りに欠かせない、米と水を育む風土や気候への、感謝の気持ちが溢れている。ページを繰れば懐かしくも誇らしい思いに満たされ、「おかえり」という言葉をかけられているように思われた。
私は灘の酒によって、神戸に帰ってくることができたのだと思う。酒造りに関係した仕事に携わることとなり、偶然では説明のつかない深い縁も感じている。私に残された酒がめの酒は、残念ながらそう多くはないけれど、これからはただ酔うためにではなく、じっくりと味わうことができそうだ。おいしい料理にも手を伸ばしながら。