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お金じゃ買えないモノの価値

時々『お金払うからアレまた作ってよ!』と言われる事がある。

お金出す価値あるよ!って評価してもらっているなら嬉しい事もかもしれないけど
お金を払えば手に入るモノと思われてるの?と嫌な気持ちになってしまう。

私が誰かに何かを作る時は、相手が好みそうなモノを
喜んでもらえるかな?と想像しながら、特別な思いで作るんだけど
それのリピートは、こちらからの『また作るよ』ありきでのリクエストなら応じるけど
相手発信で、もちろんまた作ってくれるんでしょ?って雰囲気が伝わってくると
天邪鬼な私は絶対に作らない。
もう二度と手に入らない幻のモノにしたいから。
あの時のアレは、あなたが特別な存在で、特別に作ったんですよ!
が伝わってないんだとガッカリしてしまう。

まだ『また作ってもらえたりする?』というお伺いがあるならイイけど
勝手に『またお願いね~』と言われると、絶対にヤダ!とお断り。
どうして『また』があると思ってんの?って、意地悪心が出てきてしまう。

『お金を払うから』のお金って、どのくらいの価値で考えてるんだろう?
一般的に売ってるモノと同じくらいの値段?材料費のみ?私の時給?
提示された金額が少ないと、そんなくらいの価値だと思ってるんだとガッカリするけど
高過ぎても、プロじゃないのにそんなにもらえないと思ってしまう。
そして一度値段を付けてしまうと、その値段で次も、そのまた次も
確実に提供しなくてはならなくなって、特別感が無くなってしまう。

世の中の金額が付いている商品を手に取って『高いな』と思う事もあるけど
高いなりの技術や手間を感じるモノには仕方ないと思う。
仕方ないと思えないモノはそもそも買わないし。

実際にモノを作る人にしかわからない金額っていうものもあるだろうし。
見た目だけなら同じモノだったとしても
工場でどんどん機械が大量に作っている商品の1つと
その1つを作る為に材料を厳選したり、調達したり、手間暇かけて丁寧に
思いを込めて仕上げて作るモノが同じ価値だとは思えない。

こういうガッカリな事を言う人とは、自然と距離が離れていく。
相手も『なんで?そんなのすぐ作れるんでしょ?』と思っているかもしれないけど。

こういうガッカリに対して、ちゃんと作り手の気持ちを汲んでくれる人も居る。
『いっぱい手間暇かけてくれて、こんなにしてもらって自分は幸せだよ。』
こういう事言ってくれる人は、自分も何かを丁寧に作れる人。
そして誰かにその丁寧な作品を損得無しで与えてくれるような素敵な人。
私はこういう人が大好きだ。
こういう人には、私も損得無しで特別対応をどんどんしたくなってしまう。

お金で買えるのは便利だし、必要な事だけど
お金じゃ買えない価値も、ちゃんと大事にしていきたい。
そういうのを大事にする人と繋がっていたい。

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