ただ好きでは駄目なのかと
たまたまこの作品のことを知り、ちょうど同じ頃にネットに触れた世代としては懐かしくて堪らなかったんですが、同時にもうこれが「ノスタルジー」となってしまうことに軽くショックを覚えたり。
作中描かれるネットトラブルは当事者としても傍観者としても見に覚えがありすぎますが、それ故に読み進めるに従って埋めておきたい悪い記憶が掘り起こされる思いです。
作中後半で主人公は「好きを貫くのは楽ではない」という現実を突き付けられます。
世の中に擦れきってしまったおっさん的には結末はまあ理想であって夢物語よねと本当にスレ切ったことしか言えないわけなのですが、この好きを貫くという話については別視点でいろいろと思うところがあって。
最近絵を描くことについてネットを眺めていると、技法・技巧についての話とか、こんな練習をしましたとか、練習でこんな成果がでましたとか、そういう話ばかりになったような気がするわけです。
練習することは悪いこっちゃないし、しないよりはしたほうがいいんだけど。
ただ……昔のネットでよく見かけた、この作品の主人公のようなただただ「絵が好き」と言っている熱量を持った書き込みに出会うことがなくなったように感じています。
なんとなく、最近絵を描くにも上達しようとしないと認めてもらえないものなのかなぁ、それはそれでしんどいなぁと思うことが増えています。
上達を志向して挫折した経験をしているからかもしれませんが、上達は諦めて描きたいものを描きたいときにやることを優先することにした身からすると、これほど上達することありきの空気が広がってしまったら、上達しようとしないことを咎められるようになったりしそうで本当にめんどくせえなぁ……という気持ちになっています。
咎められないにせよ、絵を見てもらえなくなるのではそれはソレで何だかなという感じもします。
作中主人公のように、好きなものを書き続けていたら自然と上達していた、それでいいじゃないと思ったりもするのですけど。
(理論や基礎ですは大事ですよ。大事だけど、そちらに偏重してしまうのも味気ないという話です)
かつての自分に対する自省も込めつつ、なんとなく最近の風潮に乗り切れていません。