競馬場で泣いている人はいるか
エモの研究
まとめ:悲しみの正体とは「物事が失われたときに感じる感情」というのが、僕の仮説です。正確に書くと、「モノ·コトへの期待値に対する負のフィードバック」になる。
今回は、上記の仮説に更新があります!
1年余り、ぼんやり考えていたときには気づかなかったことに、
こうして文章に書き出してみると、とたんに気づくというのは、自分でも驚きです。。
エモの研究を書き出してしばらく、次のネタを考えていたら、ひとつの穴に気づきました。
期待しているモノ・コトが失われたときの感情、ってもう一個あるわ、と。
落胆(がっかり)です。
アイスクリームの例はわかりやすいので、最初に書いたのですが、
よく考えると、いままさに食べようとしたアイスクリーム落っこちても、
悲しい人と、がっかりする人がいるわ、と。
ちっちゃい子なら泣いちゃうでしょうし、個人的に、アイスクリームが落ちて、泣きたいぐらい悲しくなっちゃう大人の人は好感がもてます。
ですが、僕の場合はよっぽどの状況じゃないと泣きません。がっかりするだけです。この違いはなにか。
●仮説の更新
現時点の結論として仮説を更新します。
悲しみの正体とは「切実な物事が失われたときに感じる感情」です。
つまり、切実じゃない物事が失われたときは、落胆ですみます。
しょんぼりため息をつくけど、涙はこぼれない。
ただ切実というのは直感的な書き方です。
切実とはなにか。
切実
①心に深く感じるさま。身にしみて感じるさま。 「人生の悲哀を-に感じる」
②直接かかわりがあって重要なさま。 「 -な問題」 「 -に悩む」
③実情によく当てはまっているさま。きわめて適切なさま。 「 -な表現」
――大辞林
いやあ、今回いろいろ辞書を調べてみると、辞書って読めば読むほどよくわからない。
心に深く感じるってなんだよ。その心に深く感じることがどういうことなのか知りたいんだよ。ていうか、心ってなんだよ。みたいなね。
置いといて、切実なこと、を悲しみの文脈で言語化する言葉にたどり着きました。
「相対化できないこと」です。
平たく言うと「比べられないこと」です。
なので、正確な表現としては「相対化できないモノ·コトへの期待値に対する負のフィードバック」になる。
どういうことか。
●比べようもないこと
なぜ失ったものを比べられないかには、大きく2種類の理由がありそうです。
1.比べにくいこと(対象の性質)
2.客観視できないこと(自身の状態)
一つ目の「比べにくいこと」は、まあ、たとえば人が死んだときとかですよね。(人の死については、次回かその次ぐらいに書きます)
おじいちゃんが死んだときに、まあ、おばあちゃんが死ぬよりましか、とかあんまり思わないですよね。思いたくない。
逆に、そう思っちゃったときは多分悲しくなくて、がっかりレベルですよね。
次に、「客観視できないこと」とは、自分が当事者としてどうしても主観的になってしまい、引いて冷静に考えることができない、みたいなことです。
たとえば、アイスクリームを落として、泣きそうな人にとっては、
いまここにある、失ったアイスクリームに代わるものなんて、その人にとって考えられないんです。
もしくはアイスクリームにまつわるコトが大きすぎて、客観視できない。
お腹へっててめちゃくちゃ食べたかったし(期待値が高すぎ)、なけなしの金で買ったものだし(代わりがない)、大切な人に買ってもらった(代わりがない)などで、客観視できない。然るに相対化できない。
逆に相対化できれば、がっかりですむ。
100円分もったいないけど、また買えばいいか、とか。
●競馬場で泣いている人はいるか
相対化できる例として、もうすこしわかりやすい状況を考えます。
喪失対象の相対化が容易な場合です。
競馬場って、勝てると思ってたのに、負けた人で溢れています。
つまり、みんな「持ち金を失っている」つまり「モノ·コトへの期待値に対する負のフィードバック」を受けまくっている。
でも、泣いている人ってあんまいないですよね。
がっくりと落ち込んだりしている人はいそうですけど。
(あんまり行ったことないので、競馬場が咽び泣く大人ばかりだったらごめんなさい)
なぜため息をついてしょげかえるけど、悲しくて涙が出ないのか。
それは、お金という極めて相対化しやすいものを失っているからだと思います。
だから、相対化できれば悲しまずに落胆ですませられる。
いや、100万円すったりしたら相対化できないとおもいますけど。
(客観視できないから)
●落胆は頭で認知したあとに感じる
「感情は理屈じゃないのか」でちょっぴり触れた、感情の科学において、感情には2つのタイプがありました。
早い感情:無意識に、反射的に感じる感情
遅い感情:理性で考えたりして(認知して)、じわじわ感じる感情
で言えば、落胆は相対化する時点で、頭で認知して感じる遅い感情だということだと思います。
●悲しみを落胆にまで変えられたら
悲しみの対象の相対化に成功すれば、
涙⇒ため息
にグレードダウンできるのだと思います。
(怒りの仮説は後に書きますが、怒り⇒悲しみ⇒落胆が王道ルートの模様)
悲しみの対象を相対化して落胆にし、さらに期待値を下げたり、関心をなくせば、落胆は薄れる。
でも、誰かが死んでしまったとか、
ほんとうに悲しいことって、相対化することに抵抗がありますね。
悲しみをそんなに簡単に手放すべきではない、というか。
あの女はお母さんの代わりじゃない(仮)!みたいに思っちゃう。
というわけで、仮説を更新します!
まとめ:悲しみの正体とは「切実な物事が失われたときに感じる感情」というのが、僕の仮説です。正確に書くと、「相対化できないモノ·コトへの期待値に対する負のフィードバック」になる。
●ちなみに
この仮説更新のきっかけは、
酒を飲むとよく泣くことで(僕の中で)有名な編集者が、
このnoteを読んでくれたというので、
仮説の穴について相談したことから、この更新にいたりました。
ありがとうございます。
「だって、くらべられないんだもん」と口をとがらせててウケましたが、
名誉のために匿名にしつつ感謝します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?