自己概念と邦ロックについてNoteで語る会
久しくNoteを書くことをやめていた。湧き上がってくる自分の感情をそのままNoteに書くのは違うなと思い、この度頭のなかで整理してから書こうと思う。
今回は
自分本位と他人本位
について述べていこうと思う。
『自分本位』これは自分主体で動くこと、自分の思い通りに描こうとすることである。
自分はこの『自分本位』が大嫌いである。
多くの人間は自分本位でありたいと考えている。でも多くの人間はそれを『自分勝手』に履き違えているのである。
自分のしたいこと、自分の感情をそのまま表現する。大いに結構である。しかしそれが周りに及ぼす影響を考えたことがあるだろうか?
例えば、自営業で商店街に店を持っている。屋外でBBQがしたくなったから自分の店の前で友達をたくさん呼んでBBQを行う。よく見てみると商店街の通路すなわちそこは市の持ち物である市道である。そこでBBQをすることは果たして正解なのだろうか?自分が屋外でBBQをしたいから自分の店の前でする。これこそ自分本位を自分勝手と履き違えたいい例である。
遠回りする度に見えてきたこともあって早く着くことが全てと僕には思えなかった / ELLEGARDEN.ジターバグ
自分本位はいわゆる近道である。自分の欲を表現、表出するために自分の意思で突き進むことになる。つまり周りを見渡すこともなく自分の感情の赴くままに行動することになっていく。
では逆に『他人本位』で動くことはどうなのか?
『他人本位』つまり、他人を優先して物事を行っていくことである。欲もそうだし、行動、発言全てを他人本位にしていく。ここでは間違えてほしくないのは『他人本位』は『遠慮』や『自己乖離』ではないということ。
『他人本位』で動くとどうなるか。先程のBBQの例で考えてみよう。自分がBBQしたいと考えた。ここで他人本位で考えると、BBQをするための場所を考える。自分の店の前は空いてるが一般の人も通るため迷惑である。また市道に沢山の人が集まって騒ぐのもまた迷惑である。と考えるとどこか河川敷やキャンプ場を借りて盛大にやったほうが楽しいのではないだろうか?
というふうに捉えることができる。
『他人本位』というのは自分を押し殺す事ではなく、自分の行動が他者にどのような影響を及ぼすかを慮ることができる最強のツールなのである。
自分自身も完全に他人本位で生きているかと言われればまだ完全ではない。自分本位を達成する為にはそもそも他人本位ができなければ意味がないのである。それさえ分かれば自己実現なんて容易くなるのではないだろうか?