自己概念と邦ロックについてNoteで語る会
今回は理想と現実の乖離について話そうと思う。理想は自分の思い描く将来像や他人への観測的希望であると自分は認識している。対して現実は今現在進行形で進んでいる事象のことである。
理想はあくまで自分の想像である。誰しもが抱くし、誰しもが望むものである。
しかし、現実どうだろうか?
自分の思い描く将来像に現在の自分が何かしてあげれているだろうか?
理想と現実は二律背反
ハンブレッダーズ / 銀河高速
二律背反とはパラドックス、つまり正解であり不正解でもあるという混沌(カオス)のことである。
理想はどれだけ夢見ようと夢であるし、叶う時は叶うものである。かくして現実もそうである。現実が理想になる時もあればそうでも無いことだってある。つまり理想と現実は表裏一体であるってこと。
じゃあ理想は語らず、現実だけを直視するべきか?
そうではない。理想論を掲げることで少なからずとも自分の目標が立つ。さらには他者への観測的希望も持つことができる。
すなわち、理想は自分を成長させる1つのツールである
と考える。理想とする物へ到達するにはどうするべきか、どんな行動、どんな感情を持てばいいのか自らが考え動く必要がある。他者への希望は自分の行動1つで実現しうるものでもある故にである。
じゃあ、現実はどうなのか
現実は理想にいる自分からすればいわばポンコツレベルにいる自分の姿であると言えるだろう。ポンコツ故にもがき苦しんで、自分のダメな点を洗い出すことができると思う。自分の中では現実は理想の自分への映し鏡であると自覚している。
「大好きだった少年漫画の主人公みたいになれはしないけど」
ハンブレッダーズの逃避行という曲の一文である。ここでボーカルで作詞のムツムロさんが理想論を掲げている。この後の歌詞は
「きっと君だけは愛し抜いてみせるから」
そう、飛躍はしているが少年漫画の主人公になるために現実の自分が君(誰か)を一辺倒に愛すことで叶うんじゃないかと表現している。
だらだらと綴ってしまったが
要するに理想は掲げるべきもの、現実は見て見ぬ振りができぬものであるということである。
今回ハンブレッダーズを取りあげさせてもらった。2年前くらいから純異性交遊のアルバム聴きまくってたくらい好きだったのだか暫く聴いてなかった。今年の2月乗せてもらった車からふとハンブレッダーズを聴いた時不思議と勇気づけられたからNoteで取り上げたいとつくづく思ってた。車乗せてくれた人ありがとう笑
ちなみに好きな曲はスクールマジシャンガールとユースレスマシン。