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脱北者野球チーム、アメリカへ行く part6

記事を開いてくださりありがとうございます。
7月22日、今日からはワシントン編になります。文才が全くないので、面白さは何もなく、本人の備忘録になっているので、大きな期待はせずに読んでもらえると幸いです。part5の前記事はこちらからどうぞ。

7月22日のスケジュール


National Mall・朝鮮戦争戦没者慰霊碑

 ワシントン初日の最初のスケジュールは、ナショナルモールにある朝鮮戦争戦没者慰霊碑の訪問からでした。

左側には兵士
右側には壁画?があります
壁には兵士、武器/ビークル、そして軍用犬が描かれていました

 兵士の像があったり、壁画があったり、公園の中のほうに行くと、犠牲者の名前が彫られたモニュメントがあります。公園のガイドが来てくれたのですが、かなりの野球好きだったようで、ポジションはどこ?好きな野球チームはどこ?と野球の質問ばかりしてきて、かなりフランクな方でした。
 しかし、この場所についての話が始まると、やはり場所が場所ですし、神妙な表情の学生たちが現れます。軍隊に行く年齢の子もいます。終戦ではなく、今はまだ休戦。たとえ再び開戦する可能性が今は低くても、未完の平和な状態の朝鮮半島です。彼らが武器を持つのが戦場にならないことを願うばかりです。
 また、偶然でしたが統一部長官も同じ時間帯に訪れており、団体の運営陣らは少しだけ挨拶をしていました。
 その後は少しだけナショナルモールの説明時間と記念撮影の時間を撮りました。ナショナルモールには、西側のほうでバスを降りたため、西端のリンカーン記念館がすぐそばにありました。ワシントン記念塔を向かいにして各々写真を撮っていると、「この方たちと写真撮ろう!」というお声が。
写真は公開できませんが、運動をしていた軍人の方たちと、野球チームの子たちと写真を撮りました。しかし、軍人さんの鍛え上げられた体はすごかったです。野球チームの子供たちはおそらく中学生から小学生ぐらいでしょうか。大人数でしたので彼らも何かの遠征中で一つの観光のスケジュールで訪れていたのではないかなと思います。これまで野球のユニフォームを着て歩いていたので、時折「どこから来たの?野球チームなの?」というちょっとした質問を受けて答えるぐらいはしていましたが、こうして現地の方と写真を撮るなどの行為をできて学生たちも楽しかったようです。

ワシントン記念塔

DACOR Bacon House

再びバスに乗って移動して着いたのは、DACOR Bacon Houseです。

 こちらでは、The Committee for Human Rights in North Koreaの事務長であるGreg Scarlatoiu氏との面談でした。北朝鮮人権問題に関連して活動している方であれば、HRNKの説明は必要ないとは思いますが、HRNKは、北朝鮮に関する非政府組織の専門知識の不足を補うために、外交政策と人権の専門家グループによって 2001 年に設立された組織です。HRNKさんの公式Xでも私たち野球チームの記事を紹介してもらいました。

 韓国語も流暢な方なので、基本的に韓国語での進行でした。まずはお互いに自己紹介をします。その後は北朝鮮人権について、団体の活動について軽く触れた後は質問タイムです。いつものように積極的に発言する学生もいれば、ちょっとおねむな学生さんも…大人たちからするとできればいろいろな学生から質問出ればよいなとは思いますが、強制的に話をさせるのも難しいところです。
 自分は、脱北者の社会統合ということで、脱北者の定着について重きを置いた研究、どちらかといえば韓国入国後に関しての事象の研究をしていますが、団体はむしろ北朝鮮での人権侵害問題、脱北過程での人権侵害問題など、韓国などに入国する前のことに活動の重きを置いています。
 しかし、学生から「どうやって人権侵害の問題が起きたのかを把握することができたのか」という質問が飛び出し、人権侵害を把握する、推測する方法論的なお話を聞くこともでき、貴重な時間でした。
 自分は、脱北者の社会統合について研究している学生であることを伝え、名刺を交換することができました。後日、お会いできたことのお礼をしたかったのと、質問タイムでは学生さんの質問を優先したい思いからできなかった複数の質問をしたかったので、メールを送ってみたところ、これからよく連絡しましょうとの返事をいただきました。またいつか学術的な会場で出会えるように頑張りたいと思います。

DACOR Bacon House
一緒に写真を撮ってもらいました

Lighthouse Tofu(빛고을 순두)

 時間も12時を過ぎ、お腹はぺこぺこの時間です。この日の昼食はスンドゥブチゲでした。場所はバージニア州のアナンデールにある韓国料理屋さんです。

一日一食は韓食のため、食事のストレスは少なそう?

 ある程度の辛さの料理は大丈夫ですが、辛すぎる料理は苦手な自分。幸いにもここのスンドゥブチゲは辛すぎるわけでもなかったので助かりました。ただ、中に入っていたお肉を食べようとしたさいに、唇をやけどしてしまい、これ以降の写真撮影では変な顔になっています(笑)
 ここでも学生たちの中では「ごはんお代わりほしい人~?」という声が聞こえて頼もしかったです。

Thomas Jefferson Memorial(ジェファソン記念碑)

 ご飯を食べた後は、再びワシントンに戻り、ジェファソン記念碑を訪れます。しかし、この時から空は少し怪しい気配。このあと野球の予定が入っていたのですが、午後から雨が降るということで、結局室内でのスケジュールになりました。

タイダルベイスン越しに見るワシントン記念塔
右手には財政局?(Bureau of the Fiscal Service)と製版印刷局
ジェファソンの銅像
ホワイトハウスが見えます
スコールが!
かなりの通り雨でした

 ガイドさんの説明を受けながら、見学していたところ、ぽつぽつと雨が降ってきました。朝から雨予報はあったものの、ここまで降るとは思っておらず、一同は全員びしょ濡れです。アメリカに来てから初めての雨かな?学生たちも突然の大雨に大慌てになりつつも、少しだけ面白かったのか、笑顔でした。

Smithsonian National Museum of American History(国立アメリカ歴史博物館)

 集合時間直前になってスコールにやられてバスに乗り込んだ一同は、スミソニアン博物館のひとつ、国立アメリカ歴史博物館へ向かいます。ジェファソン記念碑とは結構近い距離にあります。
 博物館到着するぐらいになって雨はやみ、博物館の中へ。観光できる時間も40分ほどしかなかく、かなり大急ぎで見てきました。

 個人的に気になったのは、東棟の3階にある「The Price of Freedom: Americans at War」のコーナーです。アメリカの独立戦争からイラク戦争までの戦争を通じて、戦争がアメリカの歴史にどのようにかかわってきたのかを知ることができました。
 時間がなく、さくっとでしか見れなかったのですが、WWⅡまでの展示品は多かったものの、1945年以降のことは少し少なかったかなと思います。

1907 年 12 月、世界一周の航海開始時にバージニア州ハンプトン ローズを出港したと思われる縦列航行中のアメリカ大西洋艦隊
真珠湾攻撃からミッドウェー海戦の写真。空母飛龍とヨークタウン
ドーリットル空襲での出撃シーン
護衛空母?軽空母?空母の数だけでもすごい数…
左上は硫黄島の摺鉢山
原爆投下後の広島。
約70年後、ここの地で何年間も暮らして勉強していた私。
朝鮮戦争の展示物

 東棟3階には砲艦の展示物もありました。

日本語訳であれば砲艦かな?Gunboat Philadelphia
奥に見えるのは国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館
西棟2階にあったGeorge Washington Sculpture

 自分は、ほかにもアメリカの文化の歴史として、演劇、音楽、スポーツ、映画、テレビ関連の展示をしている「Entertainment Nation」があったり、ファーストレディーに焦点を当てた「The First Ladies」を軽くではありますが見てきました。
 そして気になった展示コーナーはこちらの「Many Voices, One Nation」です。その中には韓国の韓服、野球の展示物がありました。こちらは移民の国であるアメリカにおいて、アメリカ国民のさまざまな声が、建国当初から現在に至るまで、国家とそのコミュニティの形成にどのように貢献し、今も形作っているかを紹介するコーナーでした。

 野球チームとして、こちらの展示物は欠かせません。人種差別の撤廃に成功した事例としても、移民の社会統合問題と深く関わっているので、もっと勉強しなくてはならないと感じています。

 韓国関連でいえば、韓服の展示がありました。

 そして実は、7月23日が誕生日の私。偶然記念品ショップでジュラシックパークのTシャツを見つけました。同じ93年生まれの同士で、小さいころ、一日3回見ても飽きなかったこの映画のグッズを手に入れることができると思うと、自然にレジへ向かっていました。ちなみに記念品ショップは、入り口のある2階と1階にありましたが、1階のほうが種類は多かったです。
 アメリカ来て数日とはいえ、一人でレジで向かうのはまだ緊張しますが、店員さんとの会話も楽しめました。野球のユニフォームを着ていたので、当然「あなた野球してるの?」という問いかけから始まり、韓国から来て、脱北者の野球チームであること、そして自分は日本人のコーチであることを伝えることができました。店員さんにうまく伝わっているといいな。

集合時間直前にスコールにあったので風邪ひかないように着ました

野球タイム

 博物館での集合時間直前にスコールです。しかし、次の移動先に向かうときは快晴というちぐはぐな天気にみんなぐったりです。
 本来は晴れた日に野球場で野球のレッスンを受ける予定ではありましたが、お昼までに午後の雨予報が変わらなかったことや、実際にスコールがあったので、室内での野球レッスンタイムと変更になりました。ただ、室内といっても室内練習場ではなく、オフィスビルの会議室的なところでした。講師は、チャド・コルデロさんです。
 チャド・コルデロさんの紹介をすると、2005年にナショナルリーグのセーブ王にかがやき、翌年のWBCアメリカ代表に選出された人です。現在はナショナルズのユースベースボールアカデミーのコーチとして教えているとのことでした。
 野球をしてきた人としては、少し技術理論的なものを座学として勉強するのも大事ですが、日本の高校野球みたく、ほぼ毎日ぎっしり練習し甲子園を目指すようなものではないチームと実力、そして練習環境のため、せめて室内練習場で出来たらよかったなと後悔です。やはり彼らの動きも見て教えるほうが指導するほうも楽ですし、なによりこの日のためにずっと韓国で練習してきたと聞いているので、少しでも野球させてあげたかったなと思いました。
 レッスンとしては、自己紹介から始まり、まずは基本的な投球と打撃のフォームについて説明がありました。その後は質問タイムですが、ここがなかなか難しいです。投手をしている子は、変化球の投げ方を質問したり、監督からは捕球時の姿勢についての質問は出ますが、解説を聞いていても少し頭の上に❓が浮かんでいるような感じの表情です。実際の動きを見ないと彼らも理解はしやすいのだろうなと感じました。
 短い時間の野球レッスンを終えた後は、現地の野球チームの子と、そして米国務省のジュリー・ターナー北朝鮮人権問題担当特使との食事会がありました。もともと、この日は野球レッスンのあとに親善試合をする予定で、そこでジュリー・ターナーさんには始球式をしてもらう予定でしたが、あいにくの雨で流れてしまいました。
 ジュリー・ターナーさんについて、軽く紹介をすると、2023年10月から米国国務省で北朝鮮の人権問題に関する特使を務めている韓国系のアメリカの外交官です。2024年2月には日韓を訪れており、日本では横田めぐみさんの拉致現場も訪れ、日本人拉致問題についても解決の協力を進めていくことも述べられていました。

 そして現地の野球チームです。私たちヨミョン学校の野球チーム名が「チャレンジャーズ」なのですが、この度の訪米を記念し、なおかつこのチームを応援する意味合いを合わせて「チャレンジャーズプラス」という名前にしたチームとの交流でした。このチームは、アメリカで生活している韓国人で結成されたチームで、年齢も野球歴も本当にばらばらで、始めて1か月も経っていない子もいました。というより、ほとんど初心者の集まりだったのかな?と思います。そして意外にも女の子も多かったです。自分たちもこれまで6名ほど女子学生で野球にチャレンジした子を見てきたので、チャレンジャーズプラスの未来も期待したいです。

 最初はぎこちなく対面に座って各自ご飯を食べていましたが、ヨミョン学校の学生が勇気を出して少しずつ質問をし始め、ご飯を食べ終わってテーブルを取り払うと仲良く話し始めました。中には「コーチ、自分Instagramを交換したよ!」と自慢してくる子もいて面白かったです。できれば、彼らと野球の試合をしてからご飯を食べていたらもっといろいろと話す機会できたのかな?とちょっと寂しかったですね。
 在米韓国人との交流機会ではありましたが、野球を通じての交流を達成できたと思います。また、今回は一つの事例ではありましたが、イベントを運営する側としてもアメリカの野球施設事情についても知れた気がします。

 

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