NOTE ベトナムとの出会い
はじめまして。わたしは中川真一と申します。ベトナム在住6年、現在ではベトナムで営業代行やマーケティング・コンサルティングの会社を経営しています。
もともと、ボランティア活動がきっかけでベトナム人たちと交流をするようになり、20年程前からベトナム語を学習しはじめました。それで、まずは現地に足を運んでみようという事でホーチミン市を1か月程訪れました。(カバーの写真は初めてベトナムへ来た時のものです)
当時、ベトナムと言えばベトナム戦争や枯葉剤といった、暗いイメージばかりが先行していましたが、実際にベトナム人たちと接すると、意外にも非常に明るく気前よく、人懐っこい人が多かったので、すぐにベトナムの文化や人々の事が好きになりました。
初めてベトナムに訪れた際には、当時ほとんど言葉を喋ることが出来なかったにも関わらず、多くの人が歓迎してくれて、とても親切にホームステイなどもさせて頂いたことを、今でも懐かしく思い返しております。
今では経済都市へと変容を遂げたホーチミン市ですが、当時はまだまだ昔の雰囲気が溢れており、人々は貧しさなどにめげずに、毎日を一生懸命に生きている様子に非常に感銘を受けた事を覚えています。
小さな子どもや高齢のお年寄りまでもが、生活に必要なお金を稼ぐ為に、暑い日中に路上で一生懸命に物を売っていたり、一台のバイクにバイクよりも大きい荷物を運んでいたり、日本では考えられないような光景をたくさん目の当たりにしました。
日本では国の補償が充実していたり、経済的にも極貧に陥る事はないので、ある程度社会的な常識や規則に従って、特に大きなチャレンジをしなくても安定した生活を送ることが出来ます。
しかし、ベトナムでは自分や家族の生活を守るために、人に頼るのではなく必死に働かなければならず、その為にはこれまでやった事ない分野にも果敢にチャレンジしたり、やってみてダメならすぐに路線変更。ベトナムで生き抜く為には、そんな能動的で柔軟なスピリットを持っていかなければならないのです。
当時の私にとってベトナム人のチャレンジ精神や生きる為に一生懸命に行動している姿は非常に衝撃的でした。ベトナムへ行く前は、「忙しい」「しんどい」と言った言葉がわたしの口癖で、毎日のルーティーンを何となく忙しくこなし生活していました。しかし、ベトナムから帰国した後には、多少わたしの行動にも変化があった様で、周囲の人たちから「中川くん、ベトナムに行ってから何だか変わったね?」と言ってもらえるようになりました。このように私の人生において、ベトナムとの出会いは非常に大きな意味があったと思っています。
20年前のホーチミン市の様子と今を比べると本当に大きく変わりました。街中を見回すとTシャツにジーンズ姿の若者、薄汚れたシャツにサンダル姿のおじさん、ベトナム人のルームウェアのようなアオババを着たお姉さん(?)、街中を走るのはスーパーカブだらけ。当時、わたしが持っていたガラケーで写真撮っているのを見て、ベトナム人達からは「これは何?日本ってやっぱり進んでるな... 」と興味深々に聞かれるような状況でした。
しかし今では、誰もがスマホやラップトップPCをを駆使し、女性達もバッチリメイクにハイヒールを履き、若者達は韓国スターを意識した様なファッション、街中を走るバイクは高価格帯のスポーツタイプの車種が主流になっています。中には、BMWやハーレーと言った大型バイクや、ポルシェやランボルギーニなどの高級車も走っているのを見かけます。
人々のエネルギーは今でも健在です。むしろ、日々目覚ましい進歩を遂げており、その変化は著しいです。
中にはベトナムをまだ発展途上国、貧しい国というイメージを持たれる日本人もおられるかもしれませんが、そのうちそうは言っていられなくなると思います。
もちろん、日本は先進国としてベトナムへ伝えられる事も多いのは事実ですが、逆にベトナムから学べることもたくさんあります。
そんな、ベトナムに出会えた事はわたしにとって貴重な宝であり、これからも関わり続けていきたいと願っています。
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