漢字の字形を眺めて「もともとの意味」を妄想して「漢字の成り立ち」を語ってはならない
こんにちは、みなさん。
前回、漢字の成り立ちについて述べたところ、多くの反響をいただきました。見返してみると、別に漢字の成り立ちにかかわらず学術として当たり前のことを言っているだけで、温めた牛乳に張った膜だけを提供したような、表層部分だけのごく薄い話でしたが、皆様ありがとうございます。
本日は、より具体的で細かい話、私達が漢字の成り立ちを語る上で或いはもっと広く古文字学(古代の漢字を研究する学問のことです)上で気をつけているポイント、つまり誤りやすいポイントであり、それは裏を返せばあなたがフェイクに直面した時に目を皿にしてほしいポイントですが、そうしたことを紹介できたらよいなと思っております。
とはいえ、こうした事項は簡単に語り尽くすことはできません。そういうわけで、それらの一側面を取り出すことで、何回かに分けて述べたいと思います。といいつつも私は飽きやすいのでこれが人生最後の記事になるかもしれません。
ところでそういえば、全然関係ありませんが、前回の話について「いらすとやがクドい」という意見が複数あったらしいです。これから気をつけます。
一
突然ですがクイズです。以下は何のイラストでしょう。
「マスクをしている人のイラスト」でしょうか。そう思った人は残念、答えは「ヒダ付きのマスクを付けた人のイラスト(男性)」です。マスクのプリーツの有無や人物の性別について想定していなかった人は間違いです。(証拠にマスクにプリーツの無いイラストや女性のイラストがこれとは別に存在します。)
次のクイズです。
男性がヒダ付きのマスクを持っていますね。みなさんにはこれが何のイラストかわかるでしょうか。
答えは「マスクを外しているイラスト」でした。「なんだあ、マスクを着けようとしてるところかと思ったぁ~」それもそうですけど、そこじゃないですよ。
ヒダ付きのマスクとか男性とか答えた方は残念!このイラストは「マスクを外している」ところを描いた結果、たまたまマスクにヒダが付いていただけで、たまたま描かれた人物が男性だっただけです。深読みお疲れさまです。
こんな理不尽で意味不明なクイズで何が言いたいのかと言うと、結局のところ「イラストを見ただけで、それが何を表しているのかを過不足なく読み取ることは不可能」ということですね。
それは、マスクを着けようとしているのか外そうとしているのかよくわからないように、動作や複雑な事物が1コマの静止画に圧縮されているからというのが一つ。そして、男性/女性の指定がされているイラストとそうでなくたまたまどちらかが描かれているイラストが区別できないように、着目すべき点の判別が困難で、時に無関係な情報が含まれることがあるから、というのがあります。
いわゆる象形文字についても同じことが言えます。
ニ
これが何を表しているのか、皆さんにはわかりますか?
このような象形文字はイラストよりさらに情報が少なく(例えば、色がついていない)、初見で描いている事物を理解するのは難しいでしょう。
大ヒントを言うと、この字は月の形を描いた字であることがわかっています。いらすとやでいうと下のイラストになります。
向かって左側が欠けた月の形です。ではこの字が何を表しているかわかりますか?「三日月」「月の満ち欠け」あるいはただ単に「月」なのか?描かれているものが月だとわかったとしても、いかようにも解釈できてしまいます。どうすれば正解にたどり着けますか?
ここで、文字とイラストの決定的な違いが私達を導いてくれます。それは、文字は言語を記録したものである、ということです。漢字は中国語を記録したものですし、いわゆるヒエログリフはエジプト語を記録したものです。
先に挙げた文字は、古代の漢字です。つまり中国語のなんらかの単語を表しているわけです。古代の漢字と言いましたが、字形が変化しているもののこの字は現在も使われている「月」という字の古い形であることがわかっています。さて、何を表しているのか、わかりましたか?
中国語の「月」という単語は、ただ単純に天体の月を表しています。したがってそんな「月」という単語を記録するために作られたこの字も、ただ単に天体の月を表しているということがわかります。
この字は三日月を表しているのではありません。たしかに三日月の形ではありますが、しかし、この形は空に見える「月」を描いた結果、たまたま向かって左側が欠けていただけなわけです。深読みお疲れさまです。
みなさんも月の絵を描いてくれと言われたら、欠けた月を描く人が多いのではないでしょうか。あるいは、満月を描いた方ならその中にクレーターの影を描いたり、周りに星を描いたりする人も多いかもしれません。そのほうがより伝わるからです。「絵に描かれている事柄」は「絵が表している事柄」よりも多くの要素を持つことが多いのです。
古文字学ではこのような現象を「形局義通」などと呼んだりします。もし、「絵に描かれている事柄」を「絵が表している事柄」と思い込んで字を解釈しようとすれば、(その言語の語彙にはないような)非常に狭い意味の言葉が生まれてしまうことでしょう。
三
清代の学者・陳澧は言います。
字義というのはたいてい結構広い意味を持っています。しかし一方で字形というのはある特定の、より狭い事柄が描かれています。「高」字は高い楼閣の形を描いた字形ですが、意味はあくまで「たかい」です。字形を眺めて「もとは「高い建物」という意味だったのが「高い」という意味に変化した」などと考えるのは言語学的アプローチを一切介さない語源の妄造に相違ありません。
古文字学や言語学に不慣れな者はしばしばこの点について誤ります。たとえば、阿辻哲次氏は日本経済新聞に連載中のコラムで「解」字について以下のように述べました。
ひょっとすると、「牛の角を刀で切り分ける」という意味から派生して広く「分ける」という意味になったと考えているのかもしれませんが、これが誤った考えであることは、ここまでの私の話を既に聞いたみなさんならわかるかと思います。
中国語の「解」という言葉は、昔から、牛に限らずいろんなものを分けるのに使われています。例えば、『春秋左氏伝』という歴史書中の、「食指が動く」の故事で知られる節の中に以下の文章があります。
また「解」と同じように分けることを表す字に「半・判」「件」などがありますが、これらの字にも「牛」が含まれています。これらはすべて、もともと「牛を切り分ける」意味だったのが広く「分ける」意味に変化したものなのでしょうか?「牛を切り分ける」などという狭い意味の単語がたくさんあって、それがみな広く「分ける」という意味を派生した、等というのは言語の一般的状況からいってきわめて不自然です。「分ける」という意味の複数の単語が、(おそらく古代人の「分けるといったら牛だよな!」的な共通認識によって)牛を使った同じような情景を用いて視覚化された、と考えるのが合理的です。
四
また別の角度からこの問題を見ることが出来ます。基本的に漢字一字一字は中国語の一語一語をあらわしているわけですが、その対応は1:1ではありません(以前、「年」と「稔」という、同じ単語を表す二つの字のペアを紹介しました)。
例えばお茶碗の「わん」という言葉を表す字は「碗」のほかに「埦」「椀」「盌」「㼝」「鋺」等の字が存在します。「解」字には「牛」が含まれているからこの字はもともと「牛を刀で切り分ける」ことを意味していた、などというノリでこれらの字を見てしまうと、「碗」字はもともと石製のおわんを表していた、「椀」字はもともと木製のおわんを表していた、「鋺」字はもともと金属製のおわんを表していた、、、ということになります。しかし実際にはこれらの字が表しているのは「わん」というただ一つの言葉なので、こうした考えは明らかに誤りです。それとも、この世には「もともと石製の丸い器を指していたが、意味が拡大派生して石製以外の丸い器も刺すようになった「わん」」と「もともと金属製の丸い器を指していたが、意味が拡大派生して金属製以外の丸い器も刺すようになった「わん」」という複数の単語が存在するのでしょうか?あなたが先日言った「そこのお茶碗取ってくれない?」の「わん」はどの「わん」ですか?
おそらく「おわんと言ったら石製だよな!」的な考え人が「碗」という字を作り、「おわんといったら金属製だよな!」的な考えの人が「鋺」という字を作ったのでしょう。
殷墟甲骨文にはしばしば「陥」という狩猟方法が登場します。「陥」は狩猟対象の動物が「麋」であるときは「麋+凵」からなる字で書かれます。
狩猟対象の動物が「鹿」であるときは「鹿+凵」からなる字で書かれます。
また狩猟対象の動物が「兕」であるときは「兕+井」からなる字で書かれます。
いろいろな字体が使われているわけですが、これらはみな同じ「陥」です。「鹿をおとしれる」と「水牛をおとしいれる」の「おとしいれる」はどう考えても同じ意味の同じ単語です。字の形が書き分けられているのは文脈が違うからであって、字の意味が違うからではありません。
「碗」字は石製のおわんを意味し「椀」字は木製のおわんを意味する、などというのは「宝箱」の「箱」は宝の入った入れ物を表していて「薬箱」の「箱」は薬の入った入れ物を表している、などと主張しているのと同じことです。字形や文章が構成されて表現されたものは、個別の字や言葉自身の意味とは異なります。
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「漢字の成り立ち」を語るときは、裘錫圭氏の言葉を忘れないようにしたいと思います。
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