ゆる言語学ラジオは非学術的な営みなのか??そんなことより、形声字について解説します!
※この記事は https://note.com/nkay/n/nf9a24b8795bc のつづきです。
概要をいうと、『ゆる言語学ラジオ』というYouTubeチャンネルにおいて、漢字に関して学術的に誤った理解に基づいた動画が作成され、(それが言語学的に正しいものとして)拡散されている。そこで、それを訂正する記事を書いたというわけである。
1. 前文
この一連の記事のメインターゲットが誰なのか再考すると、やはり「件の動画を視聴していて、漢字に興味があって、学術的正確性を気にする人あるいは文字学に興味がある人」という、非常に狭い範囲の人にとってしか意味のある文章にはなっていないなと考えるようになった。より専門的な話になっていくだろうし、それにつれてこの範囲にかからない人は文章を読む気があったとしても長文乙以外の感想を持つことができずどんどんふるい落とされていくだろう。
ちなみに僕の考えでは、「件の動画を視聴していて、漢字に興味があって、学術的正確性を気にする人あるいは文字学に興味がある人」には、ゆる言語学ラジオの製作陣も含まれる。「動画製作者たちは、正しいことをしゃべろうと思って動画を作成し、正しいことをしゃべったと思っている」、そのうえで「しかし、間違ったことをしゃべってしまった」というのが僕の考えだ(以下、「正しい」か「間違い」かという言葉を便宜的に使う、後述)。
しかしこうした僕の考えとは異なり、「ゆる言語学ラジオの人たちはそもそも正しさを意識していない、面白ければそれでいいという精神でやっている」という主張をしている人もいるようである。なるほど、そういう人たちから見れば、僕はフィクションの設定にこれは非現実的だと指摘する滑稽な人に見えているだろう。その立場をとっていて、僕の記事を読む気があるならば、僕の記事は「フィクションの設定がどれだけ現実にありえそうか」について語っているものだと理解してもらえればいい。ただ、そういう立場の人にも、ゆる言語学ラジオで語られていることを正しいことだとして受け止めている人が一定数いることは認めてほしい。正しいかどうか意識せずに作られた内容が、あたかも正しいことであるかのように世間に受け止められていることに問題意識を持ったほうが良い。
あるいは、僕の主張を誤解して、「臨機応変」にそういう立場をとってしまった人もいるかも知れない。ここで重要なのは「正しいことを言おうとして間違いを言う」ということは(学問の場であろうと)よくあるということである。そういう過失自体はよくないことだし、なくすにこしたことはないが、そこは言及対象ではない。僕が善悪や好悪の刃で判断していると誤解している人は「動画製作者は正しいことを言おうとして間違ったのではなく、はなから正しいことを言おうとしていない、だから間違ったことを言ったとしてもそれは過失ではない」と主張することで、「彼らは過失をした」という主張を“無効化”しようとしたかもしれないが、実際の僕の主張は「彼らは間違いを言った」というものであるから依然として“有効”である。僕の考え通りゆる言語学ラジオの人たちは正しいことを言おうとしているのであれば、動画製作者は正しいことを言おうとしていないと主張するのは失礼なことかもしれない。
ゆる言語学ラジオが正しいことを目指していない非学術的な営みであるならば、動画で語られていることが(結果的に正しかろうが間違いであろうが)正しいこととして視聴者に伝わっている以上、これは疑似科学である。ならば続いて、疑似科学がなぜ問題なのかという話になるが、そのことをここには書かない。なぜなら僕はゆる言語学ラジオは正しいことを言おうとしていると考えているからだ。
ここで、正しいとか間違いとかいう言葉を使ったが、これについては以下のふたつの側面がある。
一つ目は、語られた内容が文字学において一般的な見解かどうかということ。ゆる言語学ラジオの人達は学界で広く受け入れられているコンセンサスを述べているつもりだと思う。しかし実際にはそうなっていない、というのがこの記事を書こうと思ったきっかけのひとつである。たとえ太陽が地球の周りを回っていようとも、あるいはそのように主張する人達の声が世間でどんなに大きかろうとも、学界では地動説が現在のメインストリームであるだろう、ということを前回記事でも述べた気がする。
二つ目は、語られた内容が文字学において受け入れられるものかどうかということ。文字学における一般的な見解でなくとも、まだ広く知られていない・未検証・最先端の仮説を紹介しているのかもしれないし、あるいは定説より優れていると客観的に判断できる新説を主張しているのかもしれない。しかし、これについても同意はできない。というのも、動画で語られているのは使い古されたよくある素人の憶測である。文字学が未成熟であった時代ならともかく、すでに近代化したこんにち受け入れられるものではないだろう。だから、一つ目と二つ目はほとんど同一視できるかもしれない。
「言語学」「文字学」という言葉についても書いておく。この記事(シリーズ)が取り上げているのは『ゆる言語学ラジオ#4』で語られている漢字の機能的構造とか成り立ちとかそういうものなので、そういうものを研究する専門家集団やその間で形成されている社会をここで「文字学者」とか「文字学界」とか呼ぶことにする。例えば、前回の記事で部首は文字学で扱わないよと書いたが、「辞書編纂の際にどういうふうに部首を設定するのが最も効率が良いか」とか「各社の漢和辞典の部首の設定やその変遷の理由を探る」とかも広く取れば言語学か文字学と呼ばれるものの範疇かもしれない。そういうものはいま文字学と呼ぶ対象としないこととする。
あと、はるか昔に僕が「文字学は言語学に含まれる」的なことを言ったら「そんなことはないぞ」と誰かに言われたが、とりあえず気にしないでおく。この記事の対象に比べて研究対象が広すぎる「言語学」という言葉を使いたくないが、ゆる言語学ラジオがそう名乗っているので使うかもしれない。ともかく「言語学」と呼ぼうが「文字学」と呼ぼうがものは変わらない(学問というのは、言語学を称するか文字学を称するかで見解が異なるものではないはずである)。ところで、ゆる言語学ラジオでとりあげられているものはほとんど日本語・英語の文法とか語彙の話で、文字についてとりあげられている動画は異端である。他の動画にもツッコミが入っているらしいが、僕は文字学以外の分野に関して知識も興味もないので、その話もしない。
思いつくまま気ままに書いているので、なにか脱線していろいろ回り道をしてしまった。ほとんど意味のないことを言ったかもしれない。本題に入る。
2. 形声字について解説!
動画では、「鯨」字およびその右側の「京」について以下のように述べられている。
まとめると以下のようになる。
これは学界の定説ではない。
文字学では一般に以下のように説明される。
これは文字学界の「鯨」字に対する認識というより、文字学において存在する(信じられている)「一般法則」的なものから自然に導出されるものである。かつて僕がいくつか書いたnoteの記事で「ある漢字が二つ以上の部品に分解できるとき、ほとんどの場合、それらの部品の一つ以上は一種の発音記号」ということを何回か述べた。これにあてはまる字を「形声字」と呼び、上記のように説明される。
僕は今までいろんな文字学の参考書をいろんなところで紹介してきたが、たぶん上記のことは成文化されていない。というのも、文字学者はこれを当然と思っていて誰もわざわざ口にしたりしないからだ。逆になぜこれを(今更)否定するのかという感じだが、まあ勉強していなければ変なことを言ったりそれを真に受けたりすることもあるだろう。
教科書というのはいままでの研究から導かれる事柄が並べられているだけのことが多い。例えば天動説・創造論より地動説・進化論が優れている理由とか、その証明とかは書かれていない。予備知識がいる。「形声字」についてより突っ込んだ説明をしようとすれば、おそらくそうなるだろう。文字学の研究史を勉強すれば、文字学の起点ともいわれる約1900年前に編纂された字書『説文解字』において既にほとんどの字がこれに従って説明されており、その見解は今日も続いている(実践されている)から、それは理解されると思うが、研究史を一瞬で説明する暇はない。しかし、初学者でも「形声字」を理解できる道筋の例をここで紹介したい。以下ではこれについて簡単に説明を行うが、より厳密なことや発展的なことを知りたい場合は参考書(後述)を読んでほしい。
「京」を含む漢字をいくつか挙げてみると、「京」字と同じく音読みが「ケイ」である字が大量にみつかる。すると帰納的に「京」を含む字は「ケイ」と読むと推論できる。
こうした事例は「京」以外にも見られる。例えば「各(カク)」を含む「格」「閣」字は「カク」と読むとか、「監(カン)」を含む「鑑」「艦」字は「カン」と読むとか。これをさらに帰納すれば「ある部品「A」を含む字は「A」字と同じ音で読む」となる。
問題はこうした推論がどの程度正しいかということである。「鯨」字は「ケイ」ではなく、「捕鯨(ホゲイ)」のように普通「ゲイ」と読む。「鯨」字は「「京」を含む字は「ケイ」と読む」の反例となっているようにみえる(「鯨」字の右側「京」を音を表す部分ではなく「大きい」を意味するという主張は、「鯨」が「ケイ」ではなく「ゲイ」と読むことを根拠としているかもしれない)。
上記の「ケイ」というのは現代の日本語の漢音である。本当はむかしの中国語の発音に基づくべきであるが、厳密性よりもわかりやすさを重視して日本語の音で説明している。「むかしの中国語の発音」については主に唐宋代頃に編纂された『切韻』『広韻』と呼ばれる書物が基準となる(詳しくは参考書を読んでほしい、後述)。そして、「むかしの中国語の発音」と日本語の音読みには規則性が有り、それに従って、漢和辞典では「漢音」とか「呉音」とかが書いてある。「鯨」字を漢和辞典で引くと、殆どの場合、漢音は「ケイ」・慣用音は「ゲイ」とされているはずだ。これは、「むかしの中国語の発音」から他の字の読み方と同様に規則的に変化していれば「ケイ」と読まれていたはずであるが、例外的なことがなにかあって現在「ゲイ」とよまれている、ということを示している。とはいえ「むかしの中国語の発音」でも「京」と「鯨」の読みは実は異なっている。でも、日本語の漢音で「ケイ」という同じものに収束する程度には近かったということである。厳密性を重視するなら以下のように言うべきかもしれない。
既に述べたように、「鯨」字はこの反例ではない。他に反例はあるだろうか。
「涼」字を考えてみる。この字の読みは「リョウ」で、「ケイ」とはかけ離れている。しかし、
上記のように「カ行」と「ラ行」でできる組み合わせが大量に見つかる(暇な人は探してみよう、「林(リン)」を含む「禁」字は「キン」と読むように逆のパターンもある)。カ行ラ行は何らかの関係があったようである。母音についても(ここでは具体例は省略するが)同様に見ていくと「京」と「涼」にもはや壁はない。
このようにして、「よく見られる組み合わせパターン」を、(一見かけ離れた発音に思えたとしても)少なくともなんらかの音の関係があったとして収集していくと、「ある部品「A」を含む字は「A」字と同じ音で読む」をより厳密な形にした、
この推論が相当数の字にあてはまることがわかる。『広韻』に収録されている字のうち、「京」を含む字の場合は「景鯨椋掠涼諒凉勍黥倞剠弶綡輬鶁麖㹁䁁䝶䣼䭘𣄴𩗬」及び「影憬暻澋璟䭘」がこれにあてはまる。もちろん例外もあるが(「就」字など)、その割合はとても少ない。これほどの偏り(どれほどの偏りがあるのか本当は統計を取って定量的に示すのが望ましいが実行するのは難しいだろう)があるのは、なんらかの理由がなければ奇跡といっていい。偶然ではありえない。
ここで以下の説明がでてくる。
前に推論として示したものは、字とその構成要素の発音にとても高い相関があるということだけを言っているが、この仮説は、そこに因果を見出している。「そもそもとして発音が似ているものが選ばれていた」とすれば、「ある漢字が二つ以上の部品に分解できるとき、その漢字はそれを構成する部品のいずれかに近しい発音で読む」がおびただしい量の字にあてはまることが奇跡的なことではなくなる。そしてこの仮説以外でこの奇跡をうまく説明したものは今まで見たことがない。それゆえにこの仮説は正しいと考えられる(逆に、この仮説が間違っていた場合、「誤った一言」で漢字のほとんどが説明できてしまうというこれまた奇跡的偶然が生まれる)。
「鯨」は上記の仮説にしたがっている(反例ではない)。そのため、
と説明される。
以上が形声字および「鯨」字の説明の概要となる。
なお、上記の説明に対して、「「鯨」字に「京」が含まれるのは、「京」が大きいことを意味するからである」とする説明に対する検討も必要かもしれない。こちらの説明(正確にはその背景理論、そんなものがあるのかどうかも疑わしい……)については、根拠や説明能力がなく学説として成り立っているとは言えないもの(簡単に言えばトンデモ)である。詳細については需要があれば記事を書くかもしれない。
3.さらに知りたい人達へ:音韻学の教科書
ここではさらに詳しく勉強したい人達のために参考書を紹介する。
形声字について理解するには音韻学知識が必要である。ここでいう音韻学とは簡単に言えば「むかしの中国語の発音」について解明するものであるが、「むかしの中国語の発音」は大きく中古音(およそ1500~1000年前くらいの音)と上古音(およそ2000年以上前の音)に分けられる。まず中古音について学び、次に上古音について学ぶのがスタンダードである(というか逆順は不可能である)。
ここでは以下を推薦する。書店のリンクを貼ったので衝動買いしてほしい。2・3つめはもともと大学の講義で使われたものらしく、ネットで無料公開されている。
■大島正二『唐代の人は漢詩をどう詠んだか:中国音韻学への誘い』,岩波書店,2009年。アマゾン
■中村雅之『音韻学入門~中古音篇~』(漢語音韻史の教室・入門講座),富山大学人文学部1998年。 http://chinese-phonology.com/pdf/oningaku.pdf
■太田斎『韻書と等韻図』,神戸市外国語大学研究叢書第52号等。パートⅠ、パートⅡ、補説。
■野原将揮『解説:音韻学〜中古音と上古音』,『デジタル時代の中国学リファレンスマニュアル』,好文出版,2021年,第b.24-b.55頁。アマゾン、東方書店
大島・中村・太田は中古音のみについて解説している一方、野原は中古音~上古音すべてについて解説している。ただ、(おそらく筆者の専門分野の都合上)野原の中古音に対する解説は上古音への熱量に比べるとあっさりしているため、ほかと併用することをすすめる。
続いて以下を読めば、中古音・上古音についてはほとんどマスターしたといって良いだろう。
■William H. Baxter『A Handbook of Old Chinese Phonology』,De Gruyter Mouton,1992年。アマゾン(Kindle)
4.追記
続きを書きました。