サウナブームと何者かになりたいぼくたち
サウナブームと同じタイミングでサウナや銭湯にハマったミーハーマンなのだが、自分も含めて「何者かになりたい問題」がブームの根底にあるんじゃないかと思っている。
まず、「サウナー」という名称が一般化したのはとても大きいし、何者かになりたいぼくたちにとって、それは心強い、かつキャッチーな肩書きであった。
やはり、風呂好き、銭湯好き、という肩書きだとややダサいのだ。「サウナー」のほうがイケてるのはどう考えても間違いない。こうして、サウナを好きになること(自称すること)で、サウナーという属性を軽く手に入れられるようになった。
また、サウナーのロードマップができたことも大きいと思う。北欧、しきじ、ウェルビー、ゆらっくす、など「ここに行っとけばいっぱしのサウナー」的な見取り図があるのは、手っ取り早くオタク性を手に入れたいぼくたちにとって、これほど助かるものはない。
これが映画だと数が膨大すぎるし、「見ておくべき作品リスト」も評論家によってまちまちなので、容易に映画マニアを名乗ることはできない。
「サウナ好き」だけでもサウナーを自称することは可能だが、スタンプラリー的に施設を制覇することで、「好き度」やヒエラルキーがゆるく可視化されるというわかりやすさもいい。
さらにサウナは評論のプレッシャーがないことも若者受けがよかった要因に思う。感想は極論「ととのった」で成立するし、そもそもチルにそんな長ったらしい感想や批評は野暮だ。
色々なサウナの先輩方も「別にとやかく言うなよ」「気持ち良ければいいじゃん」みたいな人が多いので、映画や音楽のように「語り」を強制されるプレッシャーがない。
ラーメンも似ているが、個人的にラーメンはうるさ方が多い気がするし、評論的な空気も強いので、それと比較してもサウナは気楽にSNSに報告できる。
こんな感じで、肩書きがイケてること、押さえとくべきタスク(施設)がある程度提示されていること、評論のプレッシャーがないこと、によって手っ取り早く「サウナー」になれることが、若者のサウナブームの一因なのではないかと思っている。
あとは、頻繁にサウナに通い、ととのったことをSNSに載せれば、逆説的に「自分、日々頑張ってる(から疲れてる)」感のアピールにもなる。
誰かに気を使ったり、「もっと頑張ってるやついる」という内外の声が溢れる中で、直接的に「俺頑張ってる」と言えないそんなぼくたちを、サウナは救ってくれているのではないか。
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