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DIYへのこだわり、自分自身でつくる暮らし・祖父の生き方

子供のころから、意識していた自分自身でやるということ。心の中にずっとあった、祖父への尊敬の念。祖父の生き方を継承したいと思いつつも、言葉にできなかった思い、今やっと、動き出しました。

私には・・

褒められることへの苦手意識
女であるということ
祖父の生き方に思う
変えることができない心

こんな自分自身を、子供のころから振り返ってみます。

◆褒められることへの苦手意識◆

子供の頃から、絵を描くことが好きでした。子供の頃から作ることが好きでした。でも、それを口にするほど、得意ではありませんでした。仮にも、絵が上手と言われると、恥ずかしさで描くことを止めてしまうような子供でした。

最近は、「褒めて育てよう」と、よく言われますが、褒められることは好きではなかったのです。

それは、今でもずっと続いています。何故なのか、考えてみました。自分の表現に自信がないのか?だとしたら、こうやって、描くこと・書くことは、しないだろうという気もします。

でも、この歳になって思うことは、私が表現する理由は、褒められたいのではなく、自分が納得したいということなのではないか。納得できる物ができあがれば、褒めてもらえると嬉しいのではないか。

女であるということ

祖父の生き方を尊敬し、あんな風に生きたいと思ったとき、それを言葉にすることができなかったのは、自分が女だったからだろうか。

大工さんへの憧れの思いはありました。でも、私が社会に出たころは、大工の世界に女の人はいませんでした。視野を広げて、もっと他を探せばもしかしたら居たのかもしれませんが。少なくとも、私の周りでは、現場に入れるような雰囲気は感じられませんでした。

仮に、志願したとしても、足手まといになるかなと思っていたし、全く自信がありませんでしたしね。

◆祖父の生き方に思う◆

祖父は、大工ではないですが、自分で家を建て、配管を整備し、電気工事をし、傾いた床をなおしていた。作業場にはたくさんの道具があり、木を切る事、ガラスを切る事、セメントを練ること、いろんなことをやっていたのです。

本職は別にあり、私が大きくなったころには既に仕事は引退していたので、正直言えば、そこまではっきりとは覚えていない、おぼろげな記憶です。

私が社会人になったころも、電化製品を修理してくれたり、ご近所さんのお仕事をしてあげたりと、元気に過ごしていました。若いころから、私も歳をとったら、あんな風に生きたいと思っていたのです。早く年を取りたかったといっても過言ではありません。

黙々と作業をして過ごす日、祖母が亡くなった時、周りは心配していましたが、その後20年、90歳を過ぎても、一人で何でもできる人でした。

一緒に、大工仕事をしたい。その想いを口に出すことはありませんでしたが、お墓の前でも、心の中で、私はつぶやき続けていた。

いつか私もじいちゃんのように暮らしたい。

◆変えることができない心◆

小さなころの思いは、変わることがなく、何度も諦めたらとか、現実を見たらとか、もっと楽な生き方を選んだらとか、自分に言い聞かせてみました。

女なんだから、結婚して、子供を産んで、子育てして、それがごくごく当たり前の幸せな生き方なんじゃないか。ひとりで生きることを目標にする理由なんて、ないんじゃないか。

でも、ひとりで何でもできること。という思いは消えませんでした。

子供が嫌いなわけでもないですし、複雑な家庭に育ったわけでもないですし、異性が嫌いなわけでもありません。

ただ、自分の自分らしく生きること、という考えに、恋愛や結婚が馴染まなかっただけなのです。今となっては、もっと自由な発想で、楽しむこともできたのではないか?と、多様性を認める世のなかになってきた今、思わなくもないですが、そこへ行く過程が私には思いつかなかったのです。

だから、言葉に出すことなく、ずっと思ってきた・・変わらなかった・・な。と、ただただ今、そう思うのです。

私がずっと心に思ってきたことを実行できる時がきました。50歳になってようやく動き出したことは、最初のNoteに書きましたので、良かったらこちらも読んでみてくださいね。

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