【やが君二次創作】七海澪・お姉ちゃん奮闘記 "999 hectopascal"
こういう結末になったのは、あの日、雨が降ってたからだ。
高校2年、10月XX日
家に着いたときは小雨だった。あたしは雨で少し湿った制服を着替えると、居間のソファに腰掛けた。学校帰りに本屋さんで買ってきた文庫本をぱらぱらとめくる。こうしてると、ほら。
「お姉ちゃんおかえり。今日はなに読んでるの?」
すすす、と寄ってきて声をかけてきたのは7つ下の妹、燈子。
「ただいま、とーこ。推理小説だよ。」
「むずかしそう……すごい……っ!」
とーこがキラキラした瞳であたしを見る。なんでこんなにかわいいかなあ。
ミステリをチョイスしたのは、とーこからこんな風に尊敬の眼差しで見られたいってのが理由のひとつ。あとは、準備が大詰めの生徒会劇も題材がミステリだから、本番に向けて気持ちを高めるってのもあるね。でもこの本を選んだ最大の理由は、この本が朝の情報番組で取り上げられて話題になってたからで、
「とーこ、読んでみる?」
「いいの?ありがとう!」
こうしてとーこに読ませるため、ってわけだ。とーこはあたしの読んでる本にはいつも興味を示す。話題になってる本なら、内気なとーこがクラスメートとおしゃべりする良いきっかけにもなるんじゃない?ってことで、
「はい、どうぞ。……あ、犯人が誰かとか、大事なことは秘密にしておいてね。」
「はーい。」
これはクラスメートとの話題にするときのためのアドバイス。
とーこはソファに横向きに座ると、あたしの右腕にもたれかかって本を読み始めた。この時間はあたしの密かな楽しみ。あたしは視線を正面のテレビでやってるローカルのゆるーい番組に向けながら、神経を右腕に集中して、とーこの温もりを堪能した。でもまだ終わりじゃない。今のとーこの姿勢はだんだん首が疲れてくるやつだ。こうしてるうちに、ほら。
「うーん……」
とーこは身じろぎして、座る位置を少しずらすと、そのまま仰向けに倒れた。ぽすん、と、あたしのふとももにとーこの頭が着地する。
「えへへー」
この甘え上手さんめ……あたしは思わず顔をほころばせ、とーこの方へ右手を伸ばして端っこの方の髪の毛を撫でた。信じられないほどさらさら。とーこの頭が温かくて心地良い……
と、まあここまでが大体いつもの流れ。これはクセになるよね。いつまでこうしていられるかなあ、とか浮かれてると、ちょっと珍しいことに、お母さんが間抜けな声を上げた。
「うわっ、お醤油切らしてるじゃない。うーん……」
数秒考えるとこっちに向き直って、
「ちょっと、おつかい頼まれてくれない?」
「えー、今からー?」
とーこが顔をしかめる。あたしは窓の外をちらっと見る。雨がさっきより少し強い……かな。まだ本降りではないんだけど、これからひどくならないとも限らない、いやーな感じ。おつかいにはあたしひとりで行くか。
しかし!ここで真っ当に「私が行くよ」なんて言おうもんなら、とーこが「じゃあ私も行く!」って具合に言い募ってくるかもしれない。かわいい。想像するだけでかわいい。けど最近夕方はかなーり冷え込むし。天気もこんなんだし。とーこがカゼでも引いたらどうすんの。と思ったので、
「じゃあ、とーこ。ジャンケンで負けた方ね。行くよ?じゃーん……」
「えっ」
「けーん……」
とーこの握りこぶしが力なく上下する。
「「ぽん」」
とーこがチョキ。あたしがパー。
「ちぇー。負けちゃった。」
少しわざとらしく残念がるあたしを、とーこがいたずらっぽい笑顔で送り出す。
「じゃあお姉ちゃん、よろしくー。」
「はーい。」
タネ明かしすると、とーこはそもそもチョキを出すことが多い。そのうえ今回みたいにいきなり仕掛けて、考える余裕をなくしてやれば、ほぼ間違いなくチョキだ。あたしだけが知ってる必「勝」法。それに万が一あたしが勝っちゃっても「ごめん、今の不意打ちはずるかったね」とか言って、あたしがおつかいを引き受ければいい。カンペキでしょ。
玄関に向かいながら、あたしはとーこがさっき見せたいたずらっぽい笑みを反芻する。あれはずるい。あの顔で送り出されたら「仕方ないなあ」って気持ちになるのが普通でしょ。あたしは「ジャンケンに負けて勝負に勝った」って状況だったはずだけど、もっと大きななにかで負けた気がする。敵わないなあ。もっとあの子のいろんな表情を見たい。……ま、何はともあれ、今日はよくやったぞ、あたし。
外に出ると相変わらず、いやーな感じの雨。あたしはでっかい傘を開いて歩き出した。
傘に落ちる雨粒の音が、周りの喧騒を程よくシャットアウトする。傘を広げていれば、あたしの顔がニヤついても周りからはあんまり見えない。理想的な環境で、あたしは考えごとに没入した。劇のこととか、さっきの幸せなひとときのこと。とーこのこと。雨は結局本降りにはならない気がしてきた。心配のしすぎだった?あの子のこととなるとつい、ね。思えばとーこがカゼ引くのなんてもう長いこと見てないし、いっしょに来るのもアリだったかも。とにかくさっさと用事を済ませて帰ろう。
傘に落ちる雨粒の音で、周りの音が聴こえづらい。傘を広げていると視界も悪い。信号のない横断歩道。不注意だった。あたしも、右から来る車の運転手の人も。身体が硬直する。間に合わない。ブレーキ音。雨音よりも大きく。
「ッ………………!」
劇……できなくなっちゃったな。いっしょにがんばってくれたのに、ごめん、みんな。とーこも。
もし、とーこがおつかいに来てたら?考えたくもない。
ジャンケンに負けてよかった。
心配性でよかった。
雨が降ってて、ほんとうによかった。とーこ……
……………………
………………
…………
燈子高校2年、12月XX日
「草葉の陰から」って言うんだっけ?こういうの。……さて、と。
あれから色々なことがあった。とーこ、いや、燈子は今とても幸せそう。侑ちゃんのおかげだね。さすがあたしの見込んだコだよね。……ってことにしといて。そんなことよりどうだ侑ちゃん、あたしの妹。かわいいだろ。今の侑ちゃんとも話してみたかったよ。あたしのこと憶えてないだろうけど。
侑ちゃんと出会って燈子はいろんな表情を見せてくれた。あたしが見たことなかった表情も。この上なくつらい顔をすることもあったけど、思えばそういう顔を「とーこ」があたしに見せたことはほとんどなかった。姉としてのあたしは「とーこ」の憧れだったんだろうけど、頼れるお姉ちゃんだったかと言うと……自信ないなあ。やっぱりガラじゃないんだよ。
とにかく、今の燈子は幸せそうで、キラキラしてる。燈子は素敵な女の子になった。あたしの予想や期待、願いとか目じゃないくらい。こうなったのは、あの日、雨が降ってたからだ。……ってことにしといてよ。
それじゃ、燈子。幸せにね。
("999 hectopascal" おわり)
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