両国空域
エレベーターが完全に停止するのを待ち、栃之翔は耐熱土俵の上に踏み出す。背負ったジェットエンジンはプラット&ホイットニーFS25単発、フライト廻しや突っ張りミサイルを合わせた全備重量は150kg。常人では歩くこともままならないであろう航空力士の標準装備である。左斜め前、すでに堂々たる足取りでタクシングを開始していた双発の荒風は十両、今場所6勝7敗。対して幕下である栃之翔は今場所4勝2敗、事実上の入替戦であった。
栃之翔は目をそらさぬまま、仕切り線の前で蹲踞の姿勢を取る。「ランウェイ09/27R、ランウェイ09/27L、クリアードフォーテイクオフ」地上管制行司が軍配をかざし、両者片拳をつきながらエンジンパワーをミリタリーへ。キュオオオオ……いや増すジェットエンジンの回転音が国技館を圧し、排気が枡席前のディフレクターを叩く……気が合わない。キュウウウウン……エンジンをアイドルに戻した両者は再び立ち上がる。
立合いを繰り返す間、栃之翔は観客席に父と妹の姿を認めていた。幼い頃から体格に恵まれていた航…栃之翔航が本格的に航空相撲の道を歩み始めたのは高校相撲部時代。動力なしで空中降下し、パラシュートを開くまでの間にぶつかり合うスリル。航がさらに上を目指すのは当然のことであったが、しかしジェットエンジンを用いる大相撲の危険性に、母は反発した。
再びの立合い。唸るエンジンの出力を、航空力士はその鍛えられた全身で地上に留める。時間一杯。
「ハッケヨイ……エンゲージ!」
キュゴオオオオ!
両者の全推力が解放される。戦後GHQより指導が入り拡張された国技館のアングルド土俵は二本のランウェイを逆方向に用いるため、離陸直後の応酬は無くなった。すれ違うように飛び立つ力士が螺旋を描いて目指すのは、解放された国技館の上空3000m、半径1500m内。力士以外のいかなる航空機も侵入を許されぬ神聖な空の土俵、通称、両国空域である。
【続かない】