完全放電の先
ちょっと深い話になりそう。
前から時折喋ったり、書いたりもしているような気がしますし、意識もしているんですが、「放電」中の私。
普通の人は、充電して頑張るぞーとか思うのでしょうが、そんな気持ちにはなりきれずに長い間います。そう、頑張るぞーという気持ちはもう20年以上ないです。
なので、もう随分長い時間、そう、この何年間か放電しっぱなしです。たまにちょこっと充電していますけども、残バッテリーが7%から43%になるくらいかな。
沢木耕太郎の深夜特急は、筆者の放電の旅だと感じておりまして、トルコからイタリアに船で渡るところあたり、そして、マドリードでのゲーセンでの虚しさを吐露するあたりでほぼ完全放電になったのではないかと思ってしまいます。お茶、たまにお酒を飲んで充電を少しだけして進むという。
何十回目かの深夜特急を読んでいて(実際はオーディブルで聴いていて)、今回初めて私を襲った感覚、それは、私も完全放電したらどうなっちゃうんだろう、というか、もう生きるということさえどうでもよくなるんだろうなあ、筆者と同じく、と。
そう思った時に強烈に、本当に今まで他人のために労力を使ったことってあったんだろうかと思いました。そう思ってても、結局は自分にどうその労力が返ってくるのかどうか考えているんだろうし。
そういえば、沢木耕太郎が旅をする中で、何の見返りも期待せずに困っている人に声をかけてくる人の国はカトリック系のところだということに気がつきました。なるほど、なるほど、なるほど。
さて、なぜかこの動画の江頭「59」歳という59に妙に元気をもらいました。私はもうすぐ56歳です。あと3年以上もこんな馬鹿げたことをやってもいいということをエガちゃんを観ていて気づきました。
色々思っていることはあるんですが、これぐらいに。