見出し画像

深夜特急に乗って ポール・マッカートニーの歩き方(7) 12/16 Nothing Is Real

マンチェスターからリバプールへ移動。
今まで聖地にあまり興味がなく、実に1994年の2月以来の巡礼。

それでもリバプールを歩くと、いろいろな思いがよぎります。1994年の聖地巡礼は私の3度目の巡礼でして、その時は、アメリカ→イギリス→アメリカと3ヶ月近い旅で、途中、悪友旧友と合流したりもしまして、ビートルズに全く興味のない2人が帯同していたのもありで、まあ、散々でした。

そんなことを思い出しながら、リバプール大聖堂(オラトリオやったところ)、ジョージの生家、リンゴの生家、ペニーレインなど前日観なかったところを周り、ストロベリーフィールズの門へ。

マジカルバスのガイドのお兄さんが、「この門は、ジョンにとっても、曲にとっても意味のあるものじゃないんだよ」的なことを言いました。

そうだよ、Nothing Is Realなんだよ。1994年の友人たちには、ビートルズオタの聖地なんて、なんの意味もない。でも、私はそんな片付け方は出来ないかも。

もうどこにあるのかわかりませんが、写るんですでとった初めての聖地巡礼での写真、本当にもう10年も20年も見ていないんですが、あの時大学のサークルで作った青いウィンブレを着て写っている写真を思い出し、今までにStrawberry Fields Foreverという曲を一体何百回聴いたんだろうと。

Nothing Is Realって、長い間、全ては夢って解釈していたんですけど、ジョンの魂のGodで、Dream Is Overって歌うジョンとの矛盾を感じつつ、まあ、ジョンだからと流していました。でも、この10年、実はジョンは矛盾していないって思うようにもなりました。それは、自分以外、自分が見ているものは、鏡に映っている自分の姿さえも、Nothing Is Real。 違うかな? どうだろう。

もう一つ、この曲の中で解釈が変わったのは、ココ。
It doesn't matter much to meIt's getting hard to be someone
But it all works out
It doesn't matter much to me

someoneって、立派な人物って解釈していたんですけど、もっと素直な解釈でいいんじゃないのかなって。自分以外は、そう自分の目に映っている人も物も、Nothing Is Realなので、someoneになろうとしなくてもいいんじゃないかって。

1993年5月1日にポールに会って、帰りの飛行機の中で思ったこと。自分の人生はこの先どれほど進んでもビートルズのメンバーの人生と重なることはないんだということ。someoneじゃなくて、自分。ジョンとポールから気づかされたことをここでも思い出してしまいました。

一通りバスで周り、どうしても行ってみたかったところは ↓↓ココ↓↓。連日の強行軍と寒さ、ストレスでこの日はもうこれでガス欠に。葛根湯を飲んで少し風邪気味の体調をなんとか戻すために早めに就寝。翌日は、ロンドンへ。ロスバゲが戻ってくる気配がないので、ロンドンで追加の衣服を買わないといけません。

いいなと思ったら応援しよう!