浅倉透のことを考えていた
(第2回シャニマス投稿祭に参加させていただきます。いつもいろんな方々のイラストや動画に楽しませてもらっています。拙文も、少しでも楽しんでいただくことができたら幸甚です)
雛菜、小糸に続いてノクチルのメンバーについての記事です。でもほんとはストレイライト(冬優子)Pなんです。信じて。
正直僕は、浅倉透という少女のことをよく理解できていません。
自分は基本的に言葉で物事を理解するタイプで、短くかつ独特な言葉を遣う透は、単純に理解の材料が足りていないというのが大きいです。しかしその分、興味を惹かれているのも間違いありません。
そこで、今ある材料の中で、浅倉透という少女がどんな人間なのかを自分なりに考えてみることにしました。
今後ノクチルのイベントコミュや本人のpSR、pSSRコミュなどで解像度が上がっていったときに大外れしていたら笑ってください。
浅倉透と「言葉」
改めて、透はシャニマスの中でも言葉数が少ない子だと思います。口数が少ない「無口」とはまた違い、発話の機会自体はあるもののそこで出てくる言葉がやたらと端的です。一つの吹き出しに一言ずつしか入れないようなしゃべり方をよくする。そもそも情動自体が比較的薄めの子なんだと思うので、それと言葉数が比例しているような気がします。
また、短いだけでなくクセのある言葉を使う印象もあります。「いいね、ピースフル」「超リッチなんだ」「やばい、刺さる、それ」なんかが印象的でした。このあたり、めっちゃオリジナルな言葉というわけでもなく、なんというか単純にラフなんですよね。言葉の運用が適当。(悪く言いたいわけではないです)
このあたりから自分が感じるのは、透の言葉に対するこだわりのなさ。この辺雛菜とかと対照的で、投げかけられた問いを反芻して自分の言葉で答えを出す雛菜のようなタイプに対して、透はかなり「ありもの」の言葉を使っている感じがします。どこかで誰かが言っていた、今の状況に合いそうな言葉。そういうものを引っ張り出して表現しているような。
浅倉透と「相互理解」
ではなぜ透がそういう言葉の使い方をするのかというと、彼女が根本的に「自分を理解されること」に対して高いレベルの諦めを持っているからなのではないかと思っています。ここからかなり憶測が入ります。
わかる人にはわかるが、わからない人にはわからない。そして大半の人にはわからない。だったらわかってもらうための言葉を考える意味なんてないのでは、みたいな。僕がそう感じるのは、ノクチルを構成する幼馴染たちの関係性が、「相互理解」の上に成り立っているように見えないというのが大きいです。
あらかじめ断わっておくと、相互理解が弱いからと言ってその絆が弱いものであるとは思っていません。一緒にいることが自然である、という強大な安全圏を形成できるのは、幼馴染という関係性あってのものだと思います。
そのうえで、サポートカードのコミュなどを見ていて自分が感じたのは、円香や雛菜は透のことを深く理解しているというのではなく、ただ単に浅倉透という少女の在り方を自然なものとして受け入れ、あるいは好ましく思っているのではないかということです。
たとえば円香は、透に対してアイドルになった理由を質問することができない描写があります。これも憶測ではありますが、「透に聞きたいことを聞けない」ということに対するショックみたいなものはあまり描写されておらず、こういう「全部を理解していることを前提としない」という関係性は、それまでにもずっとあったものなのではないかと感じました。
雛菜は、そもそも他人への頓着が薄く、自分の哲学を否定も肯定もせず「そうなんだね」で済ませそう(これは自分のイメージです)な透との距離感を気に入っているのではないでしょうか。彼女は問われたことや言われたことについてはきちんと考える子なので、それを求めてこない透との付き合いはとても"居やすい"モノなのではないかと思います。
ちなみにここまで小糸の話を一切していませんが、無視してるわけではないんです・・・ただ正直現状、透と小糸の一対一の関係がどういうものなのかってこれっぽっちも想像つかないんです・・・この点は今後の供給待ちとさせてください。しかし、小糸の記事でも言及しましたが、小糸の特性である「努力」が透の情動に影響を与えていく可能性はあると思っているというか、期待したいと思っています。
浅倉透と「あの時の人」
透がアイドルになることを決めたのは、プロデューサーの存在による部分が大きいというのは言い切ってしまって問題ないと思います。
透が自分のことを「僕」と称していた(この理由もそのうち語られるんでしょうか。ここは結構さらっとした理由づけになる気がする)頃、たまたまバス停で居合わせた青年こそが、現在のプロデューサーでした。このとき青年は、ジャングルジムをじっと見つめる透を、自ら率先して動くことで公園へと誘いました。透は一度もジャングルジムに登りたいとは口にしませんでしたが、実際に一緒にてっぺんまで登ったところを見るに、ジャングルジムに興味があったのでしょう。
「透が相互理解への諦めを持っている」という仮説が正しく、またそうした諦念が子ども時代からあったものだとすれば(ちょっとリアリティ低い仮定かもとは思っています)、このときの青年は透にとって魔法使いのように見えたのかもしれません。その結果、再会後のプロデューサーは、透にとって、「何も言わなくても自分のことを理解してくれる人」という期待を背負うことになりました。それに起因するミスコミュニケーションが、透のW.I.N.G.編シナリオの主な要素であったと思います。
浅倉透と「言葉」その2
シャニマスはアイドルの元々の人格を尊重しつつ、それぞれが一歩踏み出した成長を描く点に定評があります。
透については、元々の感情の起伏の小ささ、言葉数の少なさという要素は大きく変わることなく、しかし使う「言葉」の点で成長していくのではないか、というのが私見です。言わなくていいと思っていたこと、言っても意味がないと思っていたことを伝えようとする。あるいは、わからなくても仕方がないとしていたことについて、相手の言葉を求めるようになる。
その方向性が示されていたのは、共通コミュの「ちゃんとやるから」と、親愛度3以上の時のオーディション前のやり取り。前者では透は「思っていることが伝わってほしい」という望みを話してくれます。後者ではプロデューサーに対して「何か言ってほしい」と言葉を求めます。
相手がどう思っているかという問いへの答えを、自分の想像の中で完結させない。あるいは、相手の中で形成される自分像に、自らの言葉やパフォーマンスによってはたらきかけていく。
透は、元々の情動の薄さと言葉の少なさによって、とても凪いだ存在に見えます。
でも実際には、表現されていないだけの小さな弾みがきっとある。それを他者と共有していくことの喜びを、透はこれから得ていくのではないでしょうか。そして彼女の内面の一部が言葉や行動に顕れていくことが、幼馴染四人の在り方にどう影響していくのか。正直自分は予想がつかず、これからのシャニマスもとても楽しみに感じています。
余談:浅倉透はPラブ勢?
問いは表題の通りですが、とりあえず筆者の認識の中では今のところそうではないんじゃないかなと。
透にとってのプロデューサーって、「何も言わなくても自分のことをわかってくれる」という奇跡を共有した特別な相手なんだと思います。そこには間違いなく特別な感情がある。
そのうえで、W.I.N.G.優勝コミュでの「ちゃんと気持ちを伝えるの、時間かかりそうだから」は、恋愛感情を伝えるのに心の準備がいるというよりも、今までほとんどやらずにきた「自分の気持ちを言葉にする」という行為に、これから時間をかけて取り組んでいくという宣言なんだと思います。だって大変ですもん、自分の気持ちを伝えるの。伝えようと思ったら勝手に言葉が口から出るわけじゃないし、思っている通りに伝えるにはたくさんの対話を重ねて、自分の言葉が相手にどう受け取られるのかを学んでいかないといけないし。この文章も、どう伝わるのか怖いけどジャングルジムを一段のぼる気持ちで書いています。
※あとまあ、自分のオタクとしての習性として、ある二人の間にある感情が「恋」であると認識するのは本人がそう称したときのみ、というのがあります。これを適用するとシャニマスにはひとりもPラブ勢がいないという暴論なんですけどね・・・でも、透の優勝コミュでの言葉の意味合いについては、大きく外していないんじゃないかっていう気がしています。
さて、気づけば3500文字。ずいぶん長くなってしまいました。でもノクチルの中で一番つかみかねていた透について、これだけ書き連ねてみるとかなり愛着がわいていて、筆を執ってみてよかったなと感じています。
これからも一緒にのぼっていこうな、透。