仔猫を拾いきれなかった話
子どもの頃から猫が大好きで、猫を飼いたかった。しかし、実家では犬は飼ったけれど(ワタクシの希望ではない)、猫を飼いたいというワタクシの希望は叶えられなかった。
ワタクシは、母が猫嫌いなのだとずっと思っていたが、そうではなかったことをのちに知ることとなる。ワタクシが19歳のとき、母はある日突然仔猫を連れてきたからだ。
そのコについては、いずれまた。
猫を飼うのが許されなかったのは、おそらく、父が転勤族だったことが理由だろう。いつ何時社宅住まいになるかわからず、大なり小なり室内にダメージを与える恐れがある猫を、母はペットとして認められなかったのだろう。
ちなみに、ワタクシが子どもの頃は、犬は屋外で飼うのが当たり前だった。大昔の話に聞こえるかもしれないが、そんなに昔のことではない。
小学校高学年から中学2年くらいまで、ワタクシたち一家は正に社宅暮らしだった。一戸建てだったので庭で犬を繋いで飼っていたが、当然、猫はダメだった。
そんなある日、小学生のワタクシは仔猫を拾った。白黒のバイカラーで、右後足に先天的な障害を負っていた。これが原因で、捨てられたのではないかと思っている。
(写真はイメージ)
この仔猫に、ワタクシは「ツバメちゃん」と名付けた。背中側が黒っぽく、お腹側が白っぽかったから。
社宅にガレージがあり、人の出入りが少ない物置と化していたので、その中でこっそりと世話をしていた(我が家には車がなかった)。
キャットフードがどこででも買える時代ではなく、ましてや、小学生の小遣いでは絶対買えない。
よく覚えていないが、たぶん、牛乳やシーチキンや、自分の肉のおかずを残して与えていたのだと思う。いま考えればツッコミドコロ満載だが、ネットのない時代の小学生の知恵なので、お許し願いたい。
が、こそこそした行動はすぐにバレる。
数日後、姉に見つかった。
姉は犬を飼いたがり実際に飼っていたし、一時は真剣に獣医学部を進学先に考えていたほど動物好きだった。
だから、味方になってもらえると思った。
しかし、そこは彼女も親の庇護を受ける身(我が家は親がやたら強い家だった)。姉の指導で、母に打ち明けることとなった。
もちろん、目標は自宅でツバメちゃんを飼うことだったが、議論にもならず敢なく撃沈… チーン…
母はワタクシに、ツバメちゃんを捨ててくるよう命じた。足が不自由な仔猫が、野良で生き延びられる確率は低い。あのときは、心底母が鬼に見えた。
秋の雨の日曜日、肌寒い日だった。せめて晴れた日まで待って欲しかったが、それを受け容れる母ではなかった。
かっぱを着てツバメちゃんを抱き、傘を持てないワタクシを見て、姉は傘を差してついてきてくれた。
泣きながら歩いた。その間、姉は何も言わなかった。姉はこの結末を予測できていたのだろうか。
15分くらい歩いたところで、玄関横に仔猫が雨宿りできるような造作を持った住宅を見つけた。幼心にその家の人たちに若干の申し訳なさを感じながら、その中にそっとツバメちゃんを置いた。ツバメちゃんは、しばらく鳴いていた。
ツバメちゃんへの詫び、そして自分の非力と母の(我が家の場合、ここに父は出てこない)薄情さを恨みながら、またとぼとぼと自宅へ向かった。帰りも、姉は一言も口を利かなかった。
その数年後、前述の通り母は仔猫を連れてきて、ワタクシの猫ライフがようやくはじまった。現在は、(自称)ニコライ宮殿で4にゃんとともに暮らす毎日となっている。
しかし、ツバメちゃんのことはいつになっても忘れられない。あのとき家族として迎えてあげられなかったという、ある種の罪の意識があるのだ。
もしもこの先、猫を拾う機会があったら、そのときはニコライ宮殿の一員に迎えたい。それで、贖罪とさせてほしいのだ。
ワタクシが高齢者になる前に、その機会がくればいいのだけれど。
ツバメちゃん、あのときはごめんね。
興味を持ってくださりありがとうございます。猫と人類の共栄共存を願って生きております。サポート戴けたら、猫たちの福利厚生とワタクシの切磋琢磨のために使わせて戴きます。