マダム・パッタン
マダム・パッタンとは、入院中にワタクシが名付けたとあるご婦人のことだ。いつもパッタンパッタンという足音を立てて歩いていた。ワタクシは18日間入院したが、マダムはワタクシよりも先輩の入院患者で、ワタクシの退院日にもまだ病衣を着ていた。
実は、ワタクシはこのパッタンパッタンという足音が大嫌いなのだ。世間で嫌われる音ナンバーワンではないかと思われる「黒板ギギーッ」よりも、遥かに何倍も嫌いだ。
マダムの存在に気付いたのは、入院4日目あたりだ。入院時からの発熱は3日程度続き、慣れない長時間の点滴もあり、それまでは気付かなかった。だが、4日目頃には熱も下がり点滴にも慣れ、周囲に五感が働き始めた。
パッタンパッタンは、毎日午後のほぼ同じ時間帯に聞こえてきた。おおよそ2時半を廻った頃だ。マダムの存在に気付いたときは、ワタクシの部屋の前を通ってトイレへ行く患者の中にマダム・パッタンがいるのだろう、くらいの認識だった。最初から「マダム」だと思ったのは、単にパッタンのテンポと軽量感が男性を連想させなかった、というだけの話だ。
そしてすぐに、パッタンパッタンは一過性の音ではないことがわかった。定期的に数分おきに聞こえてくる。これは明らかに、歩く意思を持ってまとまった距離を歩いている足音だった。何しろ、病棟の廊下は周回コースになっていたのだ。
入院すると足腰が弱る。だから、歩ける人はウォーキングしてほしい、と病院側が考えての病棟設計なのだろう。
正直、毎日パッタンパッタンを聞き続けるのは、ワタクシにはけっこう苦痛だった。しかし、咎めることではない。
マダムがウォーキングを始めたら、イヤホンでTVを見たりラジオを聴いたりしていた。そうしながら、この足音の主はどのような人となりなのかを、アタマの中の妄想劇場で上映したりしていた。
マダムのウォーキング中にトイレに立ち、点滴スタンドをゴロゴロ押しながら歩いているときに、マダムとすれ違ったことがある。長めのボブ、というよりはおかっぱ頭で、グレイヘア、というよりは白髪交じり。年の頃はたぶん60代前半くらいで、背丈はワタクシより少し小さい、つまりかなりの小柄。病衣の上に暖かそうな丈が長めのアランニットのカーディガンを着ていた。そして、足元は明らかにサイズがあっていないズックと呼ばれる運動靴。
だから足の動きに靴がついて来ないのだ。パッタンパッタンと歩く姿に哀愁を感じたのは、マダムの入院生活が長引いていたからだろうか。
ワタクシの点滴生活が終わり食事が出るようになると、食器を下げに廊下に出たときに、お互い目礼をするようになった。
入院中、病院のスタッフ以外と話をすることがなかったので、退院前に一度マダムに話しかけてみようかと思ってみたが、結局のところ、そうしないままワタクシは退院日を迎えた。
考えてみると、コロナ禍で入院患者もマスクをしていたし、「いいお天気ですね」と言えるような日はあまりなかったし、「雪が降りましたね」と言っても12月だから当たり前だし、「何のご病気ですか」とはまさか聞けないし、入院患者同士のコミュニケーションとは難しいものだ。
退院日、クルマで迎えに来てくれるダーリンを外来待合室で待っていたとき、ふと、売店で売られているズックが目に入った。マダム・パッタンが履いていたのと同じものだ。ここで調達したズックは、小柄なマダムの足には大きすぎたということだ。急な入院で、入院規則に沿った内履き(スリッパやバックバンドのないサンダルは禁止)を用意する時間がなかったのかもしれない。それを頼める人もいなかったのかもしれない。
それを思うと、やはりパッタンパッタンを責める訳にはいかない。例えそれがワタクシの心の中だけのことであっても。
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