数十年後の自分の自慰行為を想像して書く

こんにちは。異常者です。
今23なんだけど50歳になった俺になりきってその時の自慰行為の様子を書きます。


もっと恋愛しとけばよかった。
夜寝る前に思うのはそればかり。
50歳になっても独身で、恋人も居ない。40代の時に一度結婚相談所に登録したけど、すぐに辞めてしまった。異性をステータスで選別し、直接話してる間も終始互いの価値を値踏みし合ってる感じに耐えられなかった。一度も恋人ができたことがないせいで、相手に求める理想が上がりすぎているんだろう。恋愛ってもっと運命的なものじゃないかって、おっさんにもなってそんなロマンティックばっかり求めてる。そういう理想の恋愛と、実際に目の前で行われる淀んだ婚活とのギャップに愕然として、数ヶ月で退会してしまった。
でも退会したところで身の回りにアテがあるわけでもなく、ズルズルと年をとってついに五十路になってしまった。もう諦めるしかないのだろうか。

なんで20代の頃にもっと積極的に行動しなかったんだろう。童貞をTwitterでネタにしてふざけてみたりしてたけど、本心ではずっと心の繋がりを求めていたんじゃないのか。取り返しのつかない年齢になる前にマッチングアプリでもなんでもやってみればよかったのだ。
「どうせアプリやってる奴なんて碌でもない」なんて思ってた。とんでもない。結婚相談所の方がよっぽど蠱毒だというのに、あの時の俺はなんて愚かだったのか。


最近はもう自慰行為をすることすら辛い。
そういえば20代の頃から、自慰行為をするときに見るものは「自分がこの先付き合えるかもしれない年齢の異性」がほとんどだった。
例えば、AV女優の年齢を調べて、自分と同じくらいの女優に限定して自慰行為を行っていた。この先自分が近しいものを体験できるかもしれないという”可能性”が存在しているからこそ、興奮できたのだ。

それが30代になると、20代の女性の映像で自慰行為を行うことに少ししんどさを覚えるようになってきた。それくらいの年齢の女性と付き合える可能性はもうあまりないと自覚していたから。彼女らの裸を画面越しにみても、「ああ、もう自分には手に入らないものなのだな」という思いが脳裏を掠める。
失った時間を思うと、自然と心と体が萎えていく。

40代、50代になって、本格的に若い女性の動画が見れなくなってしまっていた。「一度も、俺は人生で一度もこれを実際に体感することが出来なかったのか」と。そういう劣等感や虚無感をダシに自分を興奮させることもあったが、その後にはさらに大きな虚無感に襲われる。賢者モードを迎えた勢いで首を吊りそうになるのであまりやらないようにしている。
代わりにやはり自分と同年代の女優を探すようになった。検索窓には「熟女」と入れるのが日課になった。
彼女らの少し衰えた肉体を見て、「これならまだ、この先俺でも体験できる可能性のある快楽だ」と自分に言い聞かせて無理やり手を動かす。
それでも股間は正直だ。お前が求めてるのはこれじゃないだろと訴えかけてくる。
心か、体か、どちらかに無理を言わせなければ自慰行為ができなくなってしまったのだ。

もう辞めたい。こんなこと。でもそんなひしゃげた快楽だけが俺の今の唯一の楽しみなのだ。

何より恐ろしいのは、それでも風俗に行けずにいるということ。
こんな俺でも、いつか自分の全てを受け入れてくれる女神のような女性が現れて、自分の初めての相手になってくれると、本気で夢見ている。
「ああ、俺はこの日のために童貞を守ってきたんだな」と、今までの全てを雪ぐ瞬間が訪れるはずだと。その日まで綺麗な体でいるべきたと。
綺麗な体など、どこにあるのだろうか。皺の入った肌が、生え放題の体毛によって半分ほど隠された下半身を見て自問する。
今日も自慰行為が終われば眠りにつく。休日はいつもそうしている。


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