TOTOミュージアムの思いを熱く語る
福岡旅行記その1
TOTOミュージアムに行ってきました。
小倉駅からバスで10分くらいで行きやすい。
TOTOという企業が歩んできた歴史、製品の進化、ひいてはトイレの仕組みや、日本人のトイレを含めた水回りが時代とともにどのように変化してきたかを学べるブースなど、結構盛りだくさんの内容でこれが無料。
休日に行ったのに結構空いてた。これ正直北九州に来た人間全員行った方がいい。
個人的に感動したのはやっぱりTOTOが作ってきたトイレの歴史だよね。
便器の形、流れる水の量、流し方、ウォシュレットや温便座といったイノベーション、便器の質感まで(元々TOTOは陶器の会社だった)
企業の人間が改良に改良を重ね、こだわり抜いた末に起こしてきた変革の数々に触れることができる。それは我々が認識できないほど細部に渡っており、それらが我々が認識できないほど根源的に浸透された”使い心地”を形作っている。
それはとても美しかった。
俺はどんな芸術を見た時よりも、それらを美しいと感じた。
元々俺の人生がトイレに支えられてきたってのもあるのかもしれない。
お腹を壊しやすく、出先でも腹具合が不安になることの多い俺にとって、トレイは避難所であり、オアシスであり、実家であった。
だから人一倍トイレに対する思い入れが強く、興味もそそられる。
でも逆にトイレに支えられてない人間なんていないでしょ。
そういう意味では全人類が等しく享受できる美しさなんだと俺は思う。
もっとこれらに目を向けていいんじゃないかって。
ピカソの芸術で人生を変えられた人間だっているだろう。太宰の小説で自殺を思いとどまった人間だっているだろう。チームラボが作る情景に心を打たれて仕方ない人間だっているだろう。音楽だって詩だって、その美しさは時に人の心をを魅了して離さない。
でもそんな中で俺はあえて言いたい。そんなものよりももっと根源的に、もっと日常的に、お前の生活を支えてきた、変えてきた芸術があるんだと。
絵画や音楽のことを考えてる時だって、考えてない時だって、お前が死にたい時だって、死にたくない時だって、お前は糞便を垂れ流す。
外ではまるで文明人のように済ました顔で、恋人の前ではことさら、汚いことなんて何もない綺麗な人間ですって生きてるお前が、それでも毎日。
到底人に見せられないような格好で、見せられないものを肛門から捻り出して。そうでなきゃお前は生きていけない。
だからその時間を少しでも快適に、清潔に、経済的に。そうやって人間の知恵と技術の結晶を詰め込んで進化してきたこの便器は生の象徴だ。
他のどんなアートよりもはっきりと、力強く、それでいて繊細に、それは人間の生を主張している。
これがないと生きていけないのに。お前の人生を形作っているのに。
これよりも優先して語るべき芸術が他に存在するのか?
考えてみてほしい。
ちなみにこれがミュージアム内のトイレに設置されている、TOTOの最新機種ネオレストNX。タイムマシンみたいな形してるやん。
77万らしい。これが無料で体験できる。
いくしかないでしょ。