「行方不明展」行ったらサブカル人種のキモさを思い知った
SNSでバズってた行方不明展に行ってきました。
行方不明、をテーマにした怪文書や怖めの映像が展示してある展覧会です。
率直な感想としては大半よくわかんなかったです。
悲しいですね。
もちろんどの作品もゾワッと感性に訴えかけてくるような怖さはあって、それを享受するだけでも十分楽しめているといえるんですけど、なんとなく裏に隠されたテーマがありそうな作品が多くて、でもありそうという雰囲気だけ感じるだけでそれが何かは全くわからないみたいな感じがずっと続いてました。
(基本的に作品の撮影、SNSへの投稿は自由なので)Twitterなどでいろいろ調べてると「これはオモロ!」みたいな考察なんか見つけたりして、でも自分の頭だけで考えてる限りはどの作品を見てもそういう腑に落ちるような考察は一つも浮かんでこなくて、ある種の敗北感とともに会場をあとにしました。
そういうの抜きにして自分の直感というか感想を語るとするなら、「行方不明」という状態、概念に対しての怖さ、奥深さ、面白さをとにかく訴えたい!みたいなパワーを感じました。
実際面白い概念ですよね。「行方不明になりたい」みたいな単語がちょくちょく出てくるんですけど、行方不明って単語自体が行方不明になった当人以外にとっての単語というか、本人をとりまく集団が規定する概念ですよね。だから本人だけは自分が行方不明かどうかを確認することはできないわけですよね。自分がきちんと行方不明になれてるかどうかってわかんないじゃないですか。だから当人が使う単語ではないような気がして。そういうちぐはぐさを孕んでいる感じがちょっとおもろいなって感じました。
感想としてはそんなもんです。
本題です。
会場に来てた人たち、若い人が多くて、まあそれはド平日のド昼間に行ったのでさもありなんって感じなんですけど、みんな似たような雰囲気をまとってて、つまり「サブカルな空気を浴びに来ました」って感じです。伊藤潤二の原画展行った時と同じ層が来てる感じがしました。
いやもちろん自分の勝手な妄想かもしれないんですけど、そんなふうに感じ
たんです。
なんといったって他ならぬ自分自身がそういう目的で来てるんだってことを、彼らを通じて鏡をみるようにして思い知りました。ああ、俺って客観的にみたらこんなにキモいんだなって。
なんで自分はこれを見に行こうと思ったのか、その動機を今一度省みてみたんですよ。もちろん展示に対する純粋な興味で来てるってのもきっと何割かは真なんです。それでもやっぱ人と違うような気味の悪い展覧会に来ることでなにか常人とは違う空気を摂取してやろうと、気味の悪い怪文書に囲まれてサブカル的な雰囲気を身にまとわせてやろうと、そういうアクセサリー的な気持ちできてることも否めないんですよね。
みんなもそうなんじゃないですか?
胸に手を当てて考えてみてくださいよ。
「サブカルの雰囲気」で身体を武装すれば、海行ったりとか花火みたりとかそういう王道の輝かしい若年期を過ごしてる同世代に対して対抗できてる感じがしませんか?いや、対抗というかむしろ「あなた達とは別のジャンルで人生を謳歌してますから」みたいな感じで人生を比べなくてもよくなるというか、そうやって生きやすくなりそうみたいな。
そこまでキモいこと考えてるのは俺だけかもしれんけど。