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何者かになりたくてゲーム実況動画を投稿してた話
去年たまにやっていた。
つまり今はやっていない。
理由は単純で、人が全く来なくてモチベを失ったから。元々配信をしていたが基本視聴者は0人で、なんとかモチベを保つために配信から動画に切り替えた。動画なら残り続けるからなんかの拍子にバズるんじゃないかって。
やってたのは単発のゲームかギャルゲー。できるだけ絵が持つものを選んだ。下手なアクションゲームや地味なストーリーゲームだと動画としての引きが弱い。それを無名の人間がやってたとして到底人は来ないだろうと考えた。人が見に来やすいような見た目が派手なゲームをやることで、なんとか0を1にできるのではないかと。
それでも現実はそんなに甘くなかった。ニコニコやyoutubeにいくつか投稿したが、全く誰も見に来なかった。特にyoutubeの方は悲惨で、再生数は基本0か1、チャンネル登録者数は半年やって2人だった。コメントなんて当然つかない。忙しい合間を縫って頑張って収録して編集して、やっと動画を投稿してもなんの反応ももらえず、そんなことを繰り返しているうちだんだん虚しくなってくる。ゲームをプレイしている時も心から楽しめない。どうせ今話してることもプレイしてる様子も、誰の目にも止まらないというのに、俺はどうして無理やりテンションを上げて喋っているのだろうか。ゲームが好きだから実況を始めたはずなのに、いつの間にかプレイすることよりも誰かに見てもらうことが優先されて、それでも誰にも見てもらえないから、じゃあ俺は今なんのためにやっているのだろうとふと考えて辛くなる。
俺はそもそもチヤホヤされたくて動画投稿を始めた。ゲームが好きだとか、もしくは実況動画を作ることそのものが好きだとか、そう言った純粋な理由じゃない。現実世界で誰かを笑わせたことなんて一度もないのに自分は面白い人間だとなぜか勘違いしていた。現実世界で人と関わらず、家で芸人のトークや有名な実況者の動画を見てばかりいるうちになぜか自分もそちら側の面白い人間になったように錯覚し、この程度なら自分でもできる気がして動画を撮り始めたような人間だ。だが実際に俺が撮った動画は俺が「この程度」と評価したレベルに遥かに及ばないものだった。まともに人とコミュニケーションをとってこなかった人間特有の滑舌の悪さ、声の小ささ、編集のクオリティの低さから出る安っぽさ、編集では補いきれない間の悪さ、喋りの遅さ。人の動画を見て、自分だったらこの場面でどんなコメントをするか脳内で妄想している内は、俺はセンスのある実況者だった。妄想の中では、俺の独特な視点と鋭いコメントは視聴者に高く評価され、動画は大バズりしていた。実際に行動に移し、自らの手で創作してみて初めて分かる難しさ。淡々と動画を上げているように見えた画面の向こうの彼らは、長年の経験によって積み上げた想像以上の技術によって動画を成り立たせていたのだと理解した。
人の動画を受動的に摂取しながら脳内でバズる自分を妄想している時が一番楽しかった。夢があった。幸せだった。 寝る前に布団に入って目を瞑り、自分の動画が大バズりする所や俺の高校の同級生がそれを見て羨ましがる所を妄想して気持ち良く眠りについたりしていた。何も行動に移さなければ”自分はバズるかもしれないという可能性”があるままキープできる。妄想の余地がある。本当の俺は面白い人間なんだと。動画を投稿していないから世間にバレていないだけで、俺は本気を出せば今画面の向こうでチヤホヤされているコイツらなんかより遥かに面白いツッコミや冗談が飛ばせる人間なんだと。
なぜ行動に移してしまったんだろう。妄想だけを楽しんで生きていく虚しさに耐えられなかった。脳内だけで完結する虚構の快感じゃなく、実体を伴う充足感が得たくなってしまった。
ネットのバズなんてきっと何年もかけてようやく手にすることなんだ。半年程度で心が折れるような人間には到底手に入らないようなもの。動画が回らなかろうが、誰にも注目されなかろうが、それでも動画を作って投稿すること自体を楽しめる人間が積み重ねの末に与えられる褒美なんだ。