新宿MAYHEM メン子の面倒の後始末 その2
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メン子の本名は、何だったろうか。気がついた時には呼び名が『メン子』になっていた。LINEの登録さえ『メン子』だ。
彼女はこの世界で『メン子』としか認識されていない。
「あたしって面倒臭い女でしょ」メン子は何かとそう言った。「あたしメンヘラだから」
真上から見て時計回りに四等分に赤黒白金に染め分けた髪の毛。左耳にはピアスを12個付けていた。それぞれのピアスに動物の名前が付いていて、これはネズミ、これはウサギと教えてくれた。
「干支に猫がいないのはネズミに騙されたからだよね。だからあたしは猫なんだ。いっつもネズミに騙される」
あたしって生きてる甲斐ないのかな、とメン子は小首を傾げて見せる。涙袋を泣きはらしたように赤く塗りたくっている。目が大きいので化粧が映える。大きな眼球はいつもぐるぐる回って空間を見ている。ぐるぐるぐるぐる。まるで自分が掴めるよすがをこの世界に探しているように。
「あたし茉莉さんに依存しちゃってるぅ~」
大して酒に強くないメン子は、何かと私と飲みたがった。新宿神鳴町のアルテマ街、そこのバー『星の王子様』で白ワインを3杯飲んでは潰れていた。私はそのたびにメン子をタクシーに乗せて西武新宿線沿いの家まで送っていた。事後処理なら慣れている。
私の仕事は《事後屋》だ。どんな依頼でも引き受けて、事件でもなんでもきれいさっぱり片付ける。特殊清掃だって不倫の修羅場だって私にかかればお手の物だ。私の阿戸野茉莉という名前と違って、どうにもならないことは何もない。まぁあまり私が直接手を動かすことはないんだけど。
最後にメン子と会ったのは、メン子が死ぬ一週間前くらいだったか。その日も『星の王子様』で完全に酔っぱらったメン子を担いでタクシーに乗せ、アパートの二階のメン子の家に放り込んだ。玄関を開けて散らかりすぎてるワンルームの自室に、メン子はぶっ倒れるなりげろげろ吐いた。私は少し顔をしかめたが、もう日常茶飯事なので掃除をした。
「あたし茉莉さんに依存しちゃってるぅ~」
「吐きながら喋るのやめてくれない?」
バスタオルを雑巾代わりにして床を拭き、メン子は服を脱がせてシャワーを浴びさせた。換気のために窓を開けたかったが、メン子の脱ぎ散らかした服と、それと見分けがつかないほどの洗濯物と、食べたのか捨てたのかわからない弁当がらやお菓子の袋、飲みかけなのか終わりなのかわからないワインボトルなどに阻まれて、窓まで近づくのに難儀した。開けてみるといつから干しているのかわからない下着やタオルがそこにあり、形だけのベランダはごみ袋で埋まっている。これもいつも通りだ。
とにかく汚い。
メン子はユニットバスでシャワーを浴びながら何か歌っていたが、途中でげぇげぇ言い出した。そして一瞬静かになり、嗚咽のような音が聞こえだした。
いつも通りなら、この後メン子は手首を切る。
聞き飽きた曲のように一連の行動は決まっている。私はこれもまた汚い洗面所に向かい、メン子が左手首に押し当てていたカッターナイフを取り上げた。
「お風呂場にカッターナイフを置くのは良くないね」
「うべぇぇぇぇ」
メン子は、ごめんなさいごめんなさいと繰り返した。私は洗ってあるのかどうかわからないタオルでメン子の左手首をぐるぐる巻きにした。メン子の左手首は、度重なるリストカットによって、幾重にも傷ついていてスノーブーツの靴底のようになっていた。泣いているメン子を無理矢理立たせて落ちていた臭いバスタオルをかぶせ、身体の水分を適当に拭うと彼女を着替えさせるために汚い部屋に連れ戻した。
その時ふと気付く。
メン子の背中に、赤紫の痣があった。六つあった。
「メン子、君どうしたの? 痣?」
「何でもにゃいです」
「何でもないことはないでしょ」
「にゃいです」
「誰に殴られたの?」
言えないんです、とメン子は黄緑色のキャミソールだけを着て言う。
「言えないことはないでしょ」
「言わないって決めたんです」
「何それ……」
私が絶句するくらいには、メン子は強い目をしていた。地雷系メイクのせいだけではないだろう。何か強い意志があった。
「言わにゃいんです」
「にゃい、はやめな」
にゃい、とメン子はもう一度言うと服を着て、それから横になった。数秒後にすうすうと寝息をたて始めた。寝るの早いな、と私は言う心持ちもなく、ゴミを避けて壁にもたれて座った。電灯は付けたままで、私も少し寝ようと思った。
「面倒臭い女だ」
私は呟いた。
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