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新宿MAYHEM メン子の面倒の後始末 その4

 メン子と飲んでいた時のことを思い出す。3軒目くらいだったか。新宿神鳴町かなきちょうのアルテマ街で、生ハムをアテにしながらスパークリングワインを飲んでいた。私は延々とスパークリングワインだった。店の在庫が尽きるまで戦う、スパーリングのような飲みだった。
「ぐるぐる回ってるー」
 メン子は大きな目を回しながらアブサンを飲んでいた。これはきっと悪酔いする、私には確信があった。
茉莉 まつりさん」
 メン子が私の名前を呼ぶ。赤く縁どられた二つの目が、焦点定まらず私を見る。
「茉莉さんは好きな人とかいないんれすか?」
「いない」
 嘘ではない、今はいない。かっくいー、とメン子が嬌声を上げる。
「この人と一緒に生きよう、この人のために生きるって思ったことあるのれすか?」
「……ないなー」
「なんれないんれすか」
「何でも何もないからないの」
「あたし思うんれす」
「あんた水飲みな」
「大丈夫れす」
 メン子は5杯目くらいの緑に光る酒を飲み干した。
「あたし思うんれす」
「会話の編集点作るな」
「誰かのために生きるってことは、誰かのために死ねるってことれすよ」
「れすか」
「れすよ」
「死んじゃだめじゃない?」
 人間いつか死ぬんれす、とメン子は回らない舌で言う。
「でも死ぬまでは生きてるんれすよ」
「そうだね」
「死んでから、何のために生きたかってのがわかるんじゃないんれすか?」
 なるほど、と思う。
 終わってから、その人の物語の意味付けがされるのか。
 だったら私の仕事は、『事後屋』は――
 終わった物語の後始末だ。
 しかし終わった物語の後で私は一人奮闘することになる。
 後の祭りだ。
 阿戸野あとの茉莉さん、と私を呼ぶ声がした。
 回想を終えて現在に戻る。生ハムのバーで私はまたスパークリングワインを飲んでいる。しかし隣にいるのはメン子ではない。彼女のように真上から見て時計回りに四等分で赤黒白金に染められた髪でもなく、まっすぐな黒髪。彼女のように左耳にピアスを12個付けているわけでもない人物。
 九条静くじょう・しずかだ。
「大丈夫ですか? 飲み過ぎっすよ」
 九条が心配そうに私を見る。美少女と見間違える顔の造形だが、アラサーの男だ。肩甲骨くらいまでのつややかな長い黒髪。嫉妬してしまう。だが着ているものはロックバンドのLIVEのTシャツにデニムと、出番を終えて物販に出てきたインディーズバンドのようだ。私も、黒いカットソーに黒いレザージャケット、黒いレザーのショートパンツに黒革のロングブーツなので人のことは言えないが。
「飲み過ぎたことはない」
「確かに阿戸野さんいくら飲んでも変わんないすけど、見てるこっちが心配になります」
 店の人もそうじゃないすかね、と九条は笑う。
 九条と飲むのは珍しい。彼が新宿警察署の刑事で、話したいことがあったから少し付き合ってもらっている。私の仕事柄、警察関係者の知り合いがいるのはとてもありがたい。元々、九条とは共通の知人を介して知り合った。四烏祐一しがらす・ゆういちは、知人という言葉がちょうどいい。友人と言わないのは、『男女の間に友情は存在できない』みたいな顔をする男だからだ。いつだってすごく中途半端に私を口説いてくる。そして四烏は酒が飲めない。私とは合わない。
 九条が生ハムを頼んだ。三皿目だ。よくそんなに食べられるな。明日顔が浮腫んでも知らないぞ。
「生ハムを食べる時の音って『はむはむ』ですかね」
 九条が真顔で問う。酔っぱらっているのかと思ったがこの男はこれで通常運転なのだ。黙っていればモテるだろうに。
「メン子は『むぎゅむぎゅ』って言ってた」
「ヘンっすね」
「君もよ」
「それにしてもメン子ちゃん」
 九条が生ハムのチェイサーのように酒を飲む。
「亡くなっていた状況が変でした」
「そうなの?」
「手首を切った後に首を吊っていますからね」
 九条は若干青ざめた表情で言う。こういう話が怖いのだ。つくづく刑事に向かない男だと思う。
「メン子ちゃんはよく手首を切られていらっしゃった?」
「とんでもない敬語を使うね」
「とんでもない話ですからね」
「よく切ってはいたけど……」
「ざっくりとは切ってない?」
「ざっくりとした話、そうね」
 ざっくりは嫌だなぁ、と九条は冗談なのか本気なのかわからない口調で言った。
「リストカットって、そんなざっくりいかないっすよね?」
「メン子の場合は酔っぱらうと大体切ってたから」
「こういう話は四烏が詳しいんだけどなぁ」
「そうなの?」
「なんか、四烏、メンヘラの女の子が好きらしいっす。『好きじゃねぇよ』って言うんすけど」
「四烏さんの話はいいよ。メン子の話をしよ」
「そうっすね。オレは管轄じゃないからそんなにわかんないすけど、直接の死因は頚動脈と椎骨動脈が圧迫されたことによる脳の機能障害ですね」
「絞殺ではなく、縊死?」
「縊死。自殺ですね」
「手首切った後に、首を吊る、か」
 よほど死にたかったのか。
「手首の傷は、切断する勢いでいってますね。傷が深い。そこから自分で歩いて、ロフトの柵にPP紐を通して首を吊っているかと」
 そう言えばメン子の部屋のロフトにも血痕があった。柵も加重で弱っていたはずだ。
「ただね、メン子ちゃんの体には、複数の痣がありましたね」
「ああ」
 メン子が死ぬ前に、私も見た。
 何の痣かは、メン子は強い決意で語らなかった。
「その痣なら、私も知ってる。別の日に見たから」
「新しい痣でしたよ。だから、何回か暴行を受けていたのかもしれないっす」
「メン子の周りに暴行をするような奴いたかな」
「彼氏とか」
「DVか、もしくはそういうアレか」
 九条が一瞬、反応に困った顔をする。初々しいな。
 殴っちゃダメっすよね、と九条が生ハムを食らう。
「暴力を受けていても、依存してたら仕方ない」
「暴力をふるう方も、依存しているんすよ」
「違いない」
「そういう関係性、何なんすかね。普通に付き合うっていうのと違う」
「そもそも『付き合う』って何なんだって話じゃない」
「何すかね」
「君は彼女いるじゃない」
「げ。何で知ってるんすか!?」
「四烏さんが言ってた」
「あー、アイツ……まぁ隠すことでも隠さないことでもないんでいいんすけど」
「彼女も刑事?」
「全然違います。あの人、奈良で古物商やってます」
 あの人、というのが九条の彼女の呼び方だということを気づくのに一瞬時間がかかった。九条の軽く見える雰囲気からすると意外な呼び方だ。
「古物商……変わった職業だね。へー、遠距離恋愛なんだ」
「いや、別に、普通っすよ」
 恥ずかしがっている。
「どんな人なの?」
「髪が緑です」
 普通じゃない。
「オレのことはいいっすよ。阿戸野さんはどうなんすか?」
「私は付き合ってる人いないもの。それに『付き合う』っていうのも」
 よくわからない。
 なんとなく流れでそういう関係になった男はいたが。
 メン子の言う、『この人と一緒に生きよう、この人のために生きるって思ったこと』などは全くない。
 メン子にそんな人がいたというのなら――
 その人は今どこで何をしているのだろうか。
 メン子の家に来たりしないのだろうか。
「そう言えば」
 私は思い出す。
凝侭田鍛こるおだ・たんって新宿警察署の刑事いる?」
「コルオダ……新宿警察は人が多いから……でもそんな変わった名前だったら……いますね、地域課っす」
「いるんだ。メン子の家に捜査に来てた」
「オレより凝侭田さんに話を聞けばよかったんじゃ」
「知り合いの方がいいじゃない」
 まぁそうですけど、と九条は三皿目の生ハムをすべて平らげた。
「にしても阿戸野さん、何でこの事件の話をオレに?」
「ん?」
「何か気になるんですか?」
「うーん、気になっていると言うか、頼まれてたから」
「頼まれてた?」
「うん」
 仕事を。
 私の《事後屋》の仕事を。
 でも何をすればいいのだろうか。
 これは終わったことなのだから。
「誰かがメン子ちゃんを殺した、と思ってるんですか?」
 完全に自殺っすよ、と九条は眠そうな声で言う。
「それはそうなのかもしれない。ただメン子が何であの日に死んだのかは気になっている」
「もしかして、自分が止められなかったのを気にしてるんすか?」
 九条の言葉に私はスパークリングワインを飲む手が止まる。
 少し考えてしまう。
「……違うと思うの」
 私は《事後屋》だ。
 終わった何らかにしか付き合えない。
 人生が文化祭の後の撤収作業な気分。
 せめて打ち上げだったらよかったが。
「メン子は希死念慮の強い無茶苦茶な女の子だったから、いつ死んでもおかしくなかったと思う。でも何も死ぬことはないと思った」
「それが、『何であの日に死んだのか』ですか」
「そう。そこは引っかかってる」
「メン子ちゃん、どんな子でした?」
「……多分いい子」
 私は生前のメン子を想起する。
 酔っぱらって吐いて手首を切っているところしか思い出せない。
 思い出せないが、それでも悪い気はしなかった。
「髪を四色に染め分けて、12個もピアスを付けて、毒々しい装いのナルシストだったけど、それでも自分を綺麗と思えなかったメン子。言葉や歌声は綺麗だったけど」
「心は天使だったんすかね」
 九条が酔っぱらいのたわごとのような言ったと思ったら、酒が回ったのか舟を漕いでいた。頭がぐらんぐらんとしている。
「飲み過ぎよ君。出よ」
「すみません、でも大丈夫っすよ。オレ、やりますよ! やってやりますよ!」
「何をよ」
 私は店員に会計をする旨を伝えた。とりあえず払っておくが今度九条からたくさん取り立てよう。
「九条さんは電車大丈夫?」
 店の外で私は訊いた。
「大丈夫っす、中野っす」
「中野なんだ」
「阿戸野さんは?」
「私は高田馬場だから」
「中野っすね」
「新宿区よ」
「新宿はどこからどこまでが新宿なんすか?」
「私がいるところまでよ」
 そう言うと九条は納得したのか、笑顔で黙って歩き出した。何なのだ。
 だが、それはそれとして――
 私は気になることができた。

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