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『即狂館の殺人』スピンオフ 岩瀬恵砂の未必の恋①

 岩瀬恵砂いわせ・けいさがデスクに戻ってくると、判矢はんや警部に手招きされた。何か怒られるのかと怯えてしまう。判矢の鷹のように鋭い目に見つめられると、些細なことでもやましく思えるのが不思議である。ある意味彼にとって警察は天職だろう。
「何でしょうか?」
市谷いちがやで事件だ」
 判矢は恵砂に捜査資料を手渡した。
「被害者は狸穴常尋まみあな・つねひろ37歳。パソコン機器などの代理店に勤めるサラリーマンだ。アパートの自室で腹部を刺されて死んでいた」
 第一印象も最終印象も「さえていない」で終わりそうな男の写真が資料にあった。タヌキっぽいが愛嬌のない、37歳にしては老けて見えるふくよかな男だった。
九条くじょうと組んで事件に当たれ」
「えっ」
「嫌そうな顔をするな」
「してません」
「していた」
 判矢がにらむように恵砂を見た。あくまでにらんではいないのだ。悪魔のように見えるがこれが普通の目つきなのだ。
「容疑者として浮かんでいる男がいる。兵田優精へいだ・ゆうせい35歳」
 判矢の言葉を聞きながら岩瀬が資料をめくっていると、一人の男の写真が出てきた。
 男は精悍な顔つきで、しかし愁いを帯びた表情をしていた。年齢以上に落ち着いた雰囲気をまとっている。
 あ、と岩瀬は口に出さず思った。
 素敵かも――
 判矢に見透かされないように、岩瀬は心の中で思った。

 端的に言って岩瀬は男運がない。
 学生の時代から、「この人好き」って思った男が世に言う地雷なのだ。見た目は良くても酷く依存してきたり、頭がよさそうだと思えば酷い借金を背負っていたり、優しく面倒見がいいと思っていたら他の女性と何人も関係を持っていたり、そんな男ばっかりだった。
 極めつけに岩瀬が警察官になると、まったく男性との出会いがなくなった。署の男たちとどうなる気もない。しかし家と職場の往復だけで平日は終わり、休みの日は溜まった家事と溜まったお笑い番組の録画の視聴で終わってしまう。プライベートで会う男はなく、事件で出会う男は犯罪者ばかりだ。
 そうなのだ。
 岩瀬が事件現場で出会う、岩瀬が「いいな」と思った男は、みんな犯人なのだ。
 吹雪に閉じ込められた雪の山荘で起きた殺人、金持ちの道楽で建てられた人形美術館での不可解な人間消失、休日の百貨店で起きた美術品が何百人の前から消えた盗難事件、すべての現場で岩瀬が好きになった男が犯人だった。
 最悪である。
 漫画や小説の主人公なら、事件体質と笑って受け入れられる設定だ。しかし岩瀬にとってはフィクションではない。
 人を好きになると、逮捕しなければならなくなるのだ。
 何でだよ、と岩瀬は叫びたくなる。いや、よく叫んでいる。
「もうそれは仕方ないんすよ」
 後輩の九条しずかが言う。岩瀬より二つ年下のこの男、肩甲骨までの長い黒髪に端正な顔立ちと、何も知らない人が見れば女優のような刑事なのだが、着ているものがロックバンドのTシャツにデニムとスニーカーという、インディーズバンドが終演後に物販に出てきたようないで立ちで興覚めである。
「岩瀬さんが彼氏できるとしたら檻の中だけですよ」
 おまけに言動が素っ頓狂ときている。
「うるさいわね。自分が彼女いるからって」
「京都にいます」
「遠距離かよ」
「オレ元々関西ですから」
「私も関西だよ」
「福井は関西じゃないですよ」
「おい」
「諸説あります」
「諸説ないんだよ。まったく。彼女さんも大変ね」
「しっかりした人ですよ」
「いくつ?」
「一人」
「人数じゃないわよ。年齢」
「三十二歳です」
 私より一つ上だと? と岩瀬はよくわからないショックを受けた。
「写真とかないの?」
「ありますよ」
 九条がスマホの待ち受けを見せてきた。緑色の短髪で、右目に黒い眼帯をしていた。
「コスプレ?」
「違いますよ。古物商です」
 京都の古物商はこんなにファンキーでよいのだろうか、と岩瀬は首を捻った。
「岩瀬さん、容疑者の兵田呼んでますから」
 岩瀬は捜査資料で見た、兵田の精悍な顔つきを思い浮かべた。いいな、と思ってしまっている自分がいる。
「岩瀬さんが好きになったら兵田が犯人です」
「なんでだよ! 私は犯罪者センサーかよ!」
「でもまぁ……オレ、やりますよ! やってやりますよ!」
「お前それ言いたいだけだろ!」
 九条が軽く飛び跳ねるようにして取調室の扉を開けた。
 そこには、写真よりも風貌が良く見える、兵田優精が座っていた。
 好きかも、と岩瀬は思った。

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