卓上のオカルティスト そっとおやすみ(7)
11
やっと落ち着く——
私は溶けるように『DEMONZ』の店内に入り込む。過度のボリュームで再生される音楽。スクリーンにはMVが映し出されている。バンドのイメージをあしらった黒いTシャツの男が多く、女性は少ない。
さて、と私は飲み物でも頼もうかと思いメニューを探す。酒は豊富だがフードは少ない。ダイニングバーじゃないから仕方ない。
それに——
重要なのは食べ物じゃない。
獲物だ。
狙いは既に決めてある。
あとはそれをどう華々しく運命的に摂取するかだ。
出会いというのは劇的で、他者の世界が交錯する。
刹那を重ねて永久に残る。
そして私も永遠に生きる。
犠牲を重ね生を享受する。
死は恵みだとわかってる。
生を貪り死を食らう。
それが肝だ。
今までもこれまでも、ずっとそうやってきた。
四つ集めるのは簡単だ。
息をするより容易いことだ。
静かに獲物を観察する。
無垢に、見える。
生け贄に値する。
丁寧に裁き、軽々に捌こう。
獲物に動きがあった。
男が女に話しかける。
「えっと——」
思考が乱れる。
嗜好も乱れる。
獲物が笑っている。
私も獲物を見て笑う。
すぐに——
お前を——
12
えっとどうしよう——
逢実(あいざね)の脳がまだ混乱している。どうしてさっき会ったばかりの女性と、来たことのない店で酒を飲もうとしているのか。
鹿目粧治子(かなめさちこ)。
上着を脱いで白いカットソーだけになった彼女は、へらへらしながら逢実を見ている。きれいに揃ったボブヘアーが若く見せるものの、自分よりも年上だろうと感じた。
「鹿目さんは何をしている人なの?」
「特に何もしてないかな」粧治子は唇の両端をキューっと吊り上げた。「奈良で主婦やってる」
「あ、結婚してるんだ」
図らずも人妻と二人になったことで、逢実は動揺する。とりあえず、と飲み物のメニューを見た。近くにいた店員を呼び寄せてビールを頼む。粧治子はモスコミュールを頼んだ。逢実が財布を取り出すより先に、粧治子が千円札を二枚出した。
「いいのに」
「いいのよ。一杯目は付き合ってくれるお礼」
「ありがとう」
逢実は家庭持ちの余裕を見た気がした。
「なんで奈良の主婦が潰れてたの?」
「潰れるほど吞んでない。休んでただけ」
「そこの主張はいいや。わざわざ新宿で」
「私、ふらっと東京に来ちゃうの」
「いい趣味」
「でしょ?」
飲み物が届いたので逢実と粧治子は乾杯した。
「奈良はどうなの?」
逢実は修学旅行で行ったきりだ。大仏を見て、鹿にせんべいをやろうとして恐ろしく嚙まれた記憶しかない。
「奈良ねぇ……」
一瞬粧治子の表情が曇った気が逢実はした。
「何かあった? 旦那さん?」
「いや、旦那はいい人だけどね」
環境が良くなかった、と粧治子は俯いて言った。
「環境?」
「嫌な人がいたりね……」
ママ友の付き合いで揉めたのかな、と逢実はビールを飲みながら思う。ヴァルシュタイナーはまろやかだ。
「逢実君は何をしてる人?」
「僕は雀荘の店員です。あのビルの」
おおー、と粧治子は目と口を丸くした。
「何か漫画みたいだねー。強いの?」
「給料は残る」
「あ、負けたら自腹なんだ。へええええ。」
そんなリスキーなことを仕事にしているのも妙だと逢実は思う。
どうしてもやりたい仕事という訳でもない。
麻雀が好きで、それなりに勝てて、スタッフにも恵まれ、昼夜問わず時間はある。
ただ条件が揃っただけだからだと思う。
四つ揃ったから、それよりよい手札を求めることを止めたのだろう。
だけど——
本当は、昼夜問わず時間はなかったのかもしれない。
見森野梨花(まみもりのりか)との時間があるべきだったのかもしれない。
それが故に、今ここで人妻と酒を酌み交わしている。
野梨花は、この未来を《予感》していたのだろうか。
——酷くしっくりしない。
しっくりしないながらも、逢実は目の前の状況に気を戻す。
粧治子が遠くを見ている。
視線の先を見ると、一人の男がいた。
背の高い男だった。
角ばっていて、やつれた顔だ。
そしてその目が、ドブ川に浮かんだ魚の腹のようにぎらついていた。
その目はこちらを見ている。
いや、正確には——
粧治子を見ている。
「粧治子さん」
「『粧治子』でいいよ」
粧治子は男を見たまま答える。
「あの男の人、知り合い?」
「ううん」
粧治子は逢実に向き直り、モスコミュールを呑んだ。逢実がもう一度見れば、男は消えていた。
「嫌な目だった」
「服のセンスはいいかも」
逢実はそこは考慮していなかった。
「ちょっと失礼」
粧治子がバッグを手に立ち上がった。悪戯っぽく逢実に笑いかけた。
「すぐ戻るね」
「はい」
粧治子が店員と話して人混みに消えて行った。トイレの場所を聞いたのだろう。
ビールを飲み終わったので、逢実は追加のドリンクを頼む。曲のリクエストもできるとわかり、折角なのでJudas Priestの『The Hellion』と『Electric Eye』を流してもらうよう言った。
「本当は一曲だけなんですけどね」
「でもこれは」
「いや大丈夫ですよ」
赤い髪の瘦せた店員は笑った。逢実が今度こそ自分でビール代を払うと、店員はいそいそと消えた。程なくしてヒューガルデンが逢実の手元にやって来た。
そして、大仰なギターのイントロが流れる。ヘヴィ・メタルそのものを体現するような一撃。『The Hellion』からの『Electric Eye』だ。5分に満たない興奮体験。
——I am perpetual.
——I keep the country clean.
——I’m elected electric spy.
——I’m protected electric eye.
最高である。本当はこのまま『Riding on the Wind』も聞きたいところだと逢実は思った。
曲が終わり、ヒューガルデンを一気に半分呑む。中々楽しいところだ、と逢実はDEMONZを好きになり始めていた。
そう言えば、と粧治子のことを思い出す。
いない。
周囲を見ても、いる気配はない。もしかして置いていかれたのだろうか。逢実は首を傾げる。
『Electric Eye』の余韻が残っている逢実に、別の目のことが思い浮かぶ。
嫌な目。
さっきの男の目だ。
あの男は、何故粧治子をあんな目で見ていたのだろうか。
まるで——
獲物を見るような目だった。
ぐい、とビールを飲み干す。
粧治子が戻る雰囲気はない。
大丈夫だろうか、と逢実は立ち上がり、改めて店内を見回した。
さっきの男も見当たらない。
逢実はトイレの場所を店員に訊ねた。さっきの赤い髪の店員だ。
「一回裏口から出て、別の建物になるんですけど」
「わかりました」
店員にトイレの場所を教えてもらい、裏口に向かう。
音楽を後ろに感じながら外に出る。
それが何とも、逢実の不安を煽る。
野梨花でなくとも——
逢実は嫌な予感がした。
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