卓上のオカルティスト そっとおやすみ(9)

14

 ぐっと吐きそうなのを堪えた。

 新宿のロックバー《DEMONZ》の裏路地。
 逢実錦自あいざね・きんじの目の前で、鹿目粧治子かなめ・さちこは肝臓を食べていた。
 その肝臓の持ち主は、地面に倒れている。少し痙攣していたが、動きも止まってしまった。絶命したのだろう。
 そしてその男は、逢実の元恋人である見森野梨花まみもり・のりかを石で殴り殺そうとしていた。
 野梨花は自分の吐瀉物の上に倒れている。気絶しているのだろう。
 四人が四者四様で、異様な状況になっている。

 四つの事象がそろっている。

 逢実は自分も伏せってしまいたい感覚になったが、とりあえず自我を強く持ち、すべきことをしようと思った。

「レバーは生の方がいいね」
 粧治子はものすごいスピードで男の肝臓を食べ終わって言った。
「ちょっと味が悪い気がする。健康じゃないのかも」
「あなたのことは」
 逢実はなるべく粧治子を見ないようにして言った。
「知らなかったけど知っていました」
「そうなの?」
 粧治子は唇の両端をキューッと吊り上げて笑った。
「僕は怖い話とか都市伝説とか好きなんですけど、肝臓が奪われた死体が連続する話を聞いていました」
 三年前に愛知で、六年前に福岡で。
 そして今は新宿だ。
「あなたは奈良に住んでいると言っていた。愛知や福岡に行ったことは?」
「遊びに行ったことはあるよ」
「食べましたか?」
「私は美味しいものを食べるのが好きなの」
 笑えない冗談を言う。
「仮に私が肝臓を三年ごとにいろんな所で食べているとして、この状況で自分の肝臓は食べられないとでも思ってるの? 君も見たと思うけど、人一人くらい」
 粧治子は黙って倒れている男を一瞥した。
「四つ」
「え?」
「必要なのは四つです」
 逢実は、震えを抑えて言った。
「愛知や福岡で、肝臓を奪われた死体は四つです。そして新宿でも、その死体で四つ目です」

 必要なのは四つ。
 四つ揃ったら——
 終わるのだろう。

「人一人簡単に損壊できるような力の持ち主のあなたです。恐らく、三年周期で高エネルギー源である人の肝臓が四つ必要なんでしょう。だからそれ以上は」
 肝臓を奪わない、と逢実は告げた。
「それがあなたのルールです」
「ルール、ねぇ」
 粧治子は楽しそうに言う。飲みに誘った時よりも楽しそうだ。
「人殺しちゃうような女子がルールなんか守ると思う?」
 女子は苦手だ、と逢実は思う。
「あなたはあなたのルールを守るでしょう。事実そうやってやってきた。愛知や福岡や、もしかしたらその前もずっとずっとその前も。もう『女子』かすらわからないような年月、そうしてきたんでしょう」
「年齢のことを言うのは失礼だよ」
「あなたが何者かなんてどうでもいい。ただあなたは、人を簡単に超えている。それができるルールとして、あなたは四つの肝臓が必要だ」
 目の前にいるのはただの酒飲みの女ではない。人間ですらないかもしれない。昔の海外ドラマでも、人の肝臓を食べては冬眠するミュータントの話があった。くだらないことばかり覚えている。どんなに化け物であっても、生きるためのルールがある。
 ルールには逆らえない。
 何でもないただの人間の逢実が、眼前の鹿目粧治子と対峙できるのは、彼女の理を信じているからだ。
 ルールがなければどんなゲームも成立せず、しかしルールがあればどんなオカルトにも正面切って立つことができる。
 今、逢実は粧治子と同じゲームをしている。

 卓上のオカルティストだ。

「あなたのルールを捻じ曲げてでも、僕を殺しますか? きっとペナルティがありますよ。大体、あなたの捕食を目撃した、そこに倒れている女子を殺していない」
 逢実は野梨花を見遣る。大きな胸がゆっくり上下しているから、本当に気絶だけなのだろう。顔や服はひどい汚れ様だが。
「あ、その子は女子扱いするんだね。ずるい」
「実は元カノなんです」
「そんな偶然ある?」
「ゲームですから」
 げーむ? と粧治子は首を傾げた。何も知らない人間が見れば、粧治子はちょっと奇麗な女性ボーカルっぽい顔に見えるだろう。周りの惨状すら、新曲のPVに見えそうだ。
 奏でるならば、今はサビだ。
「四つかな」
 逢実は宣言する。
「何が?」
「四つ揃ったっぽいんですよ」
「何の話?」
「思いません? 映画とかで危険な場所や凶悪犯の所に行く時に、殺されるためだけに無防備な感じになっちゃう人間多くないですか?」
「それは映画だから。ってだから何の話?」
「僕がそれっぽい台詞を喋るだけで何もしないと思いましたか?」
「は?」
 粧治子の顔が、悪く歪んだ。

「錦自君!」
「何やってんだ!」
「邪魔だお前ら殺すぞ何だこれは」
「うわぁ」

 四つの声が聞こえた。

 路地裏にやってきたのは、四烏しがらすと、岐部きべ、そして知らない二人の男だった。多分二人は警察だろう。

「僕があなたと話しながらこっそり連絡していたのですが、間に合ったようです」

 四人揃いました——
 と、逢実は言った。

「君の」
 粧治子は俯いたまま震えて言う。
「君の肝臓を食べるべきだった」

 粧治子が地面を蹴って跳んだ。
 殺される、と逢実は直感した。
 そこに誰かが飛び込んできた。

「四烏さん!」
「《super highway》」
 四烏はよくわからないことを言う。しかししっかりと粧治子の両腕を、二つの拳で止めている。
「どっかで見た顔だな。抱いた女かと思ったら、お前か」
「お前は研究所の……」
 粧治子の両目が大きく開かれた。研究所とは何だろうと逢実は思う。
「おいお前、何をやっているんだ!」
 鷹を死神にしたような顔の男が叫んだ。
「うるせー今取り込み中」
 言いかけた四烏の腹部に、粧治子の右膝が直撃した。ぐぇとか言って四烏は崩れ落ちた。
「この顔も名前も気に入ってたんだけど」
 両腕を大きく広げたまま、ゆっくりと後退る粧治子。いや――
 粧治子でもないのだろう。
「残念よ」
 粧治子は肝臓を抜かれた男の死体を、逢実たちに投げつけた。
「うわ」
 岐部が小さく叫んだ。
「《super highway》」
 再びそう呟いた四烏が、皆の前に割り込んで死体を受け止めた。そして四烏が犠牲者を地面に横たわらせている間に、粧治子は踵を返して走り出した。
 鹿目粧治子は逃げた。
 逢実はただ後ろ姿を見送った。
 ルールを守ったのだ、と逢実は確信した。
「あの女思いっきり蹴りやがって……俺じゃなきゃ死ぬぞ」
「『俺』は何で死なないんですか」
 逢実は四烏に訊く。
「あと『研究所』って何ですか?」
「質問は一つずつだ。今は答えないけどな」
「いや色々応えてもらうぞ」
 鷹の死神と、牛のような男が逢実たちを睨んだ。
「新宿署の判矢はんやだ。こっちは呑巣のす。通報したのはお前か」
「僕です」
「そうか。倒れているのは?」
「男の方は知りませんけど、女の方は」
 元カノです、と言おうとしてやめた。
「知合いです。まだ生きていると思います」
「元カノだろ」
 四烏が余計なことを言った。
「大丈夫っすか~錦自君。位置情報と『助け』だけ来たから四烏さんも呼んだんすよぉ~」
「俺は忙しかったのに」
 でも来てくれたのだ。逢実はほっとした。
「お前ら知り合いなんだったらまとめて話は署で聞くからな。呑巣、応援呼べ」
 呑巣は、牛みたいな声で返事をした。
 仕方ねぇな、と四烏は呟いた。
「判矢さん、新宿署に九条くじょうってヤツいるだろ?」
「あぁ? ああ、ロン毛か」
 ロン毛の範疇を超えています、と呑巣がまじめに言う。
「念のため呼んでおいてくれないか、九条。ちょっとこの事件ややこしいから」
「民間人が判断するな」
 民間人か、と四烏はなぜか苦笑した。
「むぅー」
 野梨花の声がした。逢実は近寄る。野梨花は身を起して、あ錦自君と言う。
「大丈夫?」
「大丈夫。くさいけど」
 野梨花は顔について自分の吐いたものを手で拭い、もう一度くさいと言った。
「私生きてるねぇ」
「よかった」
「まぁ助かる《予感》はあったんだけどね」
 よかんよかん、と野梨花は歌うように言った。
「どんな《予感》だ?」
「この光景かな」
 野梨花は立ち上がって言った。
 判矢と呑巣は警察の仕事をしに通りの方に出て行ったのだろう。

 逢実。
 野梨花。
 四烏。
 岐部。
 路地裏に立っているのは四人だった。

「こうなれば『勝ち』って《予感》」
 野梨花は少し笑った。
 逢実は、自分も粧治子もルールを守ったのだと思った。

15

 そんなに悪くないノット・ソーバッド
 誰の曲かわからないが、洋楽の歌詞が逢実の耳を撫でて行った。
 中野にあるボードゲームカフェ『Ei』で、逢実は四烏と岐部ともう一人と飲んでいた。
「いやでも大変でしたっすねー」
 もう一人の男——九条しずかとその男はいう。腰まである黒髪、顔は透き通った西洋人形のような美貌、ただしMarilyn MansonのバンドTシャツと、デニムのジーンズというちぐはぐな格好だ。
 四つの要素が揃っていない。
 インディーズバンドが自分の出番を終えて物販に出てきたらこんな感じだろうな、と逢実は思った。
「大体、逢実さんは鹿目粧治子にナンパされただけで何も知らなかったし、バー『DEMONZ』の裏で殺された荷置伯敬になおき・はくたかとも面識ないし。あ、彼女さんも怪我がなくてよかったっすね」
 見森野梨花のことを言っているのだとしたら、彼女じゃないと逢実は思ったが、面倒なので曖昧に頷いた。四烏が、元カノだといらない訂正をした。はぁそうっすか、と九条は少しバツの悪そうな顔をした。
 何故この四人で飲んでいるのか、逢実は思い出す。鹿目粧治子の事件で新宿警察署で事情聴取を受けた後、岐部が逢実に接触してきた。ちょっと飲みながら話そうとなったら、四烏からも連絡が来たので一緒に会うことになった。当日になって、四烏は九条を連れてきた。
 九条は新宿警察署の人間なのに、こんなに事件の参考人とつるんでいてもいいのだろうかと思ったが、事情聴取の頃から九条は喋りやすい人間だったのでまぁいいかと逢実は思った。
「新宿警察署の九条です。元々は奈良県警なんすけどね」
 鷹の死神みたいな判矢の代わりに、性格の軽い好青年が出てきたので逢実は面食らった。逢実は鹿目粧治子との出会いを話したが、事件の数時間前に飲みに誘われたことを話すと、それはいいっすねと九条は真顔で呟いた。
 結局、鹿目粧治子のことは何もわからなかった。そんな名前の女性はいなかった。
 逢実の考えでは、三年ごとに四人の男性の肝臓を食べる、素手で人間の腹を切り裂ける女性は実在しない。
 ただの化け物だ。
 お疲れっした、と九条が言って警察での面談は終わった。
 逢実は、その時できなかった質問を今九条に投げかける。
「鹿目粧治子の事件、どうなるんですか?」
「あー、まぁ逢実さんも四烏さんも岐部っちも、鹿目粧治子の顔は見てるんで指名手配しますけど」
 なんでオレだけあだ名なんですかぁ~、と岐部はぼやいた。
「多分鹿目粧治子は見つからないっすね。オクラ入りです」
 このオムライスと同じように、と九条は『Ei』の月替わりメニューであるオクラのクリームソースオムライスを指した。
「でも」逢実は九条の最後の言葉を聞かなかったことにした。「四烏さんは、鹿目粧治子のことを知ってるんですよね」
「あー」四烏は興味なさそうに言う。「あの顔は、気に入ってるんだろうな」
 鹿目粧治子の、独自の世界観を持つシンガーソングライターみたいな顔を思い出した。
「ま、でも、次遭った時はどうなっているかわからんが。ああいう顔の女は、全然大したことないのに自分が特別だと思ってる痛い男が好きになりがちだ」
「そんなあるあるわかんねぇっすよ」九条が呆れた声を出す。「でも、こういう事件は奈良でもよくありましたからね」
 あるんですねぇ~、と岐部が驚きの声を上げる。逢実は訊いてみる。
「それは、鹿目粧治子が言っていた『研究所』と関係があるんですか?」
「あ、覚えてたの」
「すごくオカルトな響きだと思って」
「錦自君そういうの好きだもんな」
「オレも気になってたんすよぉ~。そもそも四烏さん、何してる人なんすか?」
「麻雀」
 四烏はさらりと言ってジンジャーエールを飲んだ。この男、下戸なのだ。
「あと何か、《super highway》って言ってましたよね? あれも何ですか? それに鹿目粧治子の馬鹿力を受け止められるのとかって」
 謎が多い。
 そこに逢実は惹かれる。
「《super highway》ってのは、nouvo nudeってユニットの曲だ。ジャンルはDRUM'N'BASSな」
「知らねぇ~」
「知ってるっす」
「何で《super highway》って言ったんですか?」
「好きな曲かけるとテンション上がるだろ、そういうことだ」
 逢実はわからなかった。テンションが上がっていたから強かったとでも言うのだろうか。
 そんなものは、少年漫画の世界だ。
「とりあえず鹿目粧治子は姿を消した。次現れるのは、錦自君の説なら三年後だ」
 肝臓を四つ奪う。
 四つ揃ったら眠るのだ。
 ただ、次はどこに、どんな名前で、現れるのかわからないけれど。
「その時は、捕まえたいっす」
 九条が小学生のように手を挙げた。騒がしい男だ。名前と違って全然静かじゃない。
「じゃあ~、その時もこの四人で、ですねぇ~」
 岐部が空になったビールグラスを持ち上げる。『Ei』のオーナーの目賀野めかのが同じものですかと岐部に訊き、岐部は頷いた。
 四人か。
 逢実は四烏と岐部と九条を見た。
 九条の代わりに、野梨花がいる場合もあったろう。
 鹿目粧治子の事件の後、野梨花には連絡をしていない。大丈夫? などと訊こうかと思ったが、傷ついたスマートフォンケースを見ると連絡を止めてしまうのだった。
 この感情は、何か正体がわからない。
 野梨花なら、何かわかるのだろうか。
 《予感》で何か、わかるのだろうか。
 だったらそれは——
 四人揃っている今ではないのだろう。
 揃ってしまったのならば——
 この気持ちを伏せておこう。

「はい、ビールです」目賀野が岐部の前にグラスを置いた。「皆さん、ここはボードゲームカフェですよ。何かゲームしてくださいよ」
「ボードゲームすっか!? やりたいです!」
 九条が嬉しそうに騒いだ。
 やはり全然静かじゃない。
「おすすめのゲーム何かあります?」
「四人ということで、これはいかがでしょう。やったことある人もいますし」
 そう言って目賀野は小さな箱をテーブルに置いた。
 それを見て、ああと逢実は思う。
 揃ってしまったのなら、運命は眠るしかない。
 逢実は、眠っている野梨花の幻視を見た。
 置かれたゲームの名前は——

 『そっとおやすみ』だった。

(了)

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