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少年のハンコウ。
200円が欲しかった。
近所の駄菓子屋の店先に置いてあるガチャガチャの、どうしても気になった煙の出るタバコのおもちゃ。
正確に言えばタバコのおもちゃが欲しかったし、タバコを吸ってみたかった。
煙を吸って吐き出す行為、ただそれだけのはずなのにどうしても魅力的に思えて。
決して良い香りでは無い。そばで父親が吹かし吐き出したけむりはとても気持ちのよいものではなかったし、車の中でのそれは冬でも窓を全開に開けたくなるほど、むしろ嫌いなものだったはず。
そのはずなのにガチャガチャのそれは子供心を十分にくすぐり、今ここでこの瞬間に手に入れなければならないと容易に思わせた。
憧れは時に正常な判断を狂わせる。
他人から、それも大人から見ればたかだか200円だし、そもそもおもちゃだ。我慢するのに理由を探す方が難しい。しかし当時の少年にそんな声は響かない。
ガシャーン
代わりに響いたのはガラスのような、陶器のような、何せ鋭利なモノの割れる音。
何が割れたかは想像にお任せする。
あなたの想像したそれにより、少年は様々な大人にこっぴどく叱られるハメになるのだ。
少年が大人になり同じような事をされたとしたら、やはりこっぴどく叱るのかもしれないが、それをふまえても本当にこっぴどく叱られた。
200円が欲しかった。
動機がどうあれ、まだ少し幼さの残る少年はその為に決意したのだ。叱られるのは承知の上で。承知の上でした行為に対し、ただただ叱るだけの大人をどこかナナメに見ながら、それからの日々も過ごしていく。
たいていの大人は本当に叱る。それが正しい事だと思いながら、それが愛だしつけだ常識だと、わざわざ分かりにくい言い回しをして子供に言い聞かせる。伝わるのは言葉だけであり、それにどれ程の想いや意味を含めていたとしても、伝わるのは言葉だけであり、感じるのは自由だ。
誰かに言い聞かせているつもりになって、伝えた気になっているが、多くの場合は自分自身にしか響かない。
鼓膜の揺れは心まで届かない。
骨伝導で自分の心に届いてく。
それに気付かない人達が、自分の思いを他人に押し付け、自分の正義で誰かを悪にする。
200円が欲しかった。
あの時少年の正義はそこにあった。
それを邪魔するすべてが悪だったのだ。
押し付けられた常識やしつけや愛という悪に、ただただ屈するしか無かった。
正義を貫けなかった屈辱は後に大きな歪みを生み、ついに少年はタバコに火を付ける。
自らの意思で口にふくみ、一気に吸い込む。体の中を何かおもみのあるもやもやした物が這い擦るように、肺はここにあるのだよと伝えてくるように、違和感とともに今まで味わった事のない苦しみが押し寄せてくる。
ゴホッゴホッ
掠れたような乾いたような。
か細く弱々しく咳き込み右手の人指し指と中指にぎこちなく挟まれた小刻みに震える憧れに目をやった。
こうゆう事じゃ無かった気がする。
何か辻褄を合わせるよう無理矢理異物を受け入れる自分が少しバカらしくなった。あの時憧れたのはこんなリアルな物じゃない。偽物でよかった。
もう一度煙を口にふくみ、思い切り吸い込む。こぼれ出しそうな強がる自分をいったん受け入れ、力強く吐き出す。
ゲホッゲホッ
胃の中にある物まで出てきそうな程豪快に咳き込み、涙目になりながらむせかえる。少し落ち着いた後そんな自分がおかしくなって思わず笑った。少年はほんの少し大人になったような気がした。
あの時憧れたのはただの煙で、今もそれを望んでいる。言葉に想いや意味は乗らないまま、本当はそのままの常識やしつけや愛が欲しかったし、あの時は素直なまま、言葉のままだったのだ。
200円が欲しかった。