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何かを書く理由。
思えば魔法のiらんど、mixi、Facebookと様々なサイトで、日記やらその時に思っていた事をただただダラダラと書いてきた。
何も決めずに、書きたい事をなんとなく。
今読み返せるものもあれば、一生読めなくなったものもある。[魔法のiらんど]なんかは、今では小説投稿サイトのようになっているけど、15年くらい前は、個人のホームページを携帯で気軽に作れるサイトで、当時高校生だった私は、ごく少数の友人だけが知る思春期こじらせ真っ只中のブログサイトを作っていた。
もうホームページのサービスは無くなり、私の思い出も消えてしまったけど。
もちろん顔から火が出るなんてレベルじゃない内容も腐るほどあるし、顔がとろけてただれ落ち、そのまま消えてしまえたらどれほど楽だろうか。と思う程の文章もあるはず。
でもそれは書いてる当時からそう思う可能性もある事を理解しつつやっていた。
なので私は、内容はどうであれ、過去の自分を尊重したい。
何も無いのだ。
ごくごく平凡に過ごす青春時代には、本当に何も無い。
友人とその日その日にやりたい事をして、将来の不安を感じながらも、そんなの気にして無いよって顔をして、無邪気に青春を謳歌するのみだ。
その何も無い日々に、「俺はこんな事を思ってるんだ!!」と叫ぶように書き綴っていたと思う。
何かを生み出せる人でいたかった。
本当に少数の友人しか見ていなかったそのブログは、特に誰かの意見が聞きたかったワケでは無いものだったし、誰かに対して書いてるモノでは無かった。
それでも何か楽しかったし、今でもなんとなく覚えてる内容なんかもある。
数年後にはmixi、また少ししてFacebookと、その時その時の流行に一応は乗って行った。
この2つに書かれてあるモノはもちろん今でも読める。読むのには勇気が必要だけど。
ここ数年そういったSNSに投稿する事がほとんど減った。理由としては、失恋したり、疎遠になった友人がいたり、本当の意味で自分自身は何も産み出せない人間なんだなぁー、と思い知る事ばかりだったりしたからだろう。
色んな要素がある。
色んな要素により、自分の感じた事や思った事をわざわざ他人に見せるとゆう、言う人に言わせれば「恥ずかしい事」をしなくなった。
というかむしろ「恥ずかしい事」にしていったんだと思う。
そして、自分を良く見せたくて仕方なかった部分も大いにあったから、恥ずかしい事でもあるんだけど、さっきも言った通り、書いてる自分はそれも踏まえて書いていたから、過去の自分を責める気は無い。
そんなメンヘラ上等の私が最近noteを書いているのは、やっぱり何かを生み出したいのだ。
モヤモヤしたり何も無いような日々は、大人になってもある。
ここ数年は、「そうゆうもんだから、もういいか。」
とゆう諦めに似た感情を持ち、ほんとうにただただ何もなく時間が過ぎていった。
そんな奴がnoteに何か書いても意味ないだろ。となるのですが、これは本当に驚いたのですが、
何かを書いていると、世の中にある誰かが書いてあるモノに対する感動がえげつなく感じれるのです。
なんとなく読んだ方がいいかなぁ。
と思いながら読んでいた本が、
いや、なんじゃこの表現!絶対出来るか!天才とアホとかの差じゃ無いレベルやろこれ!と思いながら、自分の無力さがフリになり、様々な本の面白さが2億倍くらいになるのです。
これは完全にお得なのです。
同じ本でも、何かを書いてる時と、全く何も書いて無い時では、吸収力が段違いになる。
色んな本が読みたいし、本当に読みたいと思えるようになるために、つたない文を、自分のために書き続ける事にしたのです。
もちろん後日顔を赤らめるハメになるのですが、大人になっても恥ずかしながらも何かに挑めるのは、いいもんだ。尊重してもらおう。