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【LIFE#2】本当に捨てたかったもの
おはようございます。めずらしく朝更新です。
新たにフォローしてくれた方、すき♡くれている方、ありがとうございます。今後もよろしくおねがいします。
久しぶりにパソコンを出してきて書いている。
反応も遅いし、セキュリティ対策も切れているし、使いにくいことこの上ない。
スマホのセキュリティソフトがまだ使えたはずなのだが、書類捨てたかも、、。
1年半くらい前まで、本当にそんなことを考えている余裕がなかったのだ。きっと。
さて、本題。
今年に入ってから、“断捨離”というものを始めた。
ごみ屋敷で育った私には、“片付け”とか“断捨離”とか
違いがよくわからなかった。
もちろん、ごみ屋敷なので実家には“大掃除”という概念はない。
(“家がごみ屋敷だった”だけ。親にはADHD傾向があって片付けが苦手というだけだ。と思っている。)
収納を増やす、片付けにもならない片付けはよくやっていた。
今年になって始めたのは、“捨てる”という片付け。
去年買ったばかりの収納を捨て
(→もの捨てた結果、必要なくなったから)
服を捨て、本は売りに出した。
ボロボロでクローゼットの中にしまい込んでいたぬいぐるみも捨てた。
100円shopで買ったプラスチックの収納を数か月で捨てたこともある。
まだ、全てを捨てきれていないけれど
数えきれないほど、たくさんのものを捨てていった結果
お金の使い方が変わった。
家にいる時間が増え
家が帰りたい場所になり
家が“居たい”と思える場所になった。
外食やカフェに使うお金はこの1年で本当に減った。
物を買う回数も減った。
ウィンドウショッピングとなるものを楽しめるようになった。
“断捨離”を実践して、物を捨てていく中で思ったこと。
実際、捨てているのは“モノ”だけれど、
本当に捨てているのは“自分の過去”なのかもしれない。
離れたくても、離れられない
捨てたくても、捨てられない
断捨離は、人間関係とか、目に見えない“関係”というものを清算して
本当に自分の好きなものとか、大切にしたいものを残していく作業のかもしれない。
自分に正直に、生きていくための清算活動なのかもしれない。
これも、これとてゆるく続けていく。
そんなに必死に稼がなくても、十分に暮らせることがわかる。
みなさん、今日もすてきな1日を。