書く習慣 DAY11 10月13日
夕暮れ時
少しずつ、降りだした雨が 、なぜだか
今日の締めくくりを予感している気がした。
雨の音に負けないくらい
大きな車が通っても、気づいてもらえるくらい
なににも欠き消されないくらい
大きな声で言おう。
今日は
10月13日は
私の誕生日だ
他のだれでもない、私の誕生日だ。。。
弟の結婚の話なんて、今日、することじゃない。
相手の奥さんの話なんて、今日、聞きたくない。
ディズニーの話も興味ない。
ハレーボールも興味ない。
どちらも好きだ。
だけど、いまは、今日、この瞬間は、興味ない。
それより
毎日が、日々の暮らしが、家にいる時間が
ずっと、ずっと
楽しいことも おもしろいことも 気がついている。
楽しくする方法も、おもしろくする方法も知っている
バレーボールだって、いまは
学生のとにみたいに必死にやっていない。
誰かと繋がるための話のネタ。
ディズニーも、バレーボールも
嫌いになったわけじゃない。
お金だって、余裕がある暮らしなわけじゃない。
だけれど
自転車操業の暮らしだったときの私とは違う。
生きることに必死だった日々とは違う。
仕事に必死になりすぎて
明日、食べる物も用意できないような
そんな暮らしより
大切な人の大切な時間に
ともに、想いを馳せられる人でありたい。
そんな暮らしをしたい。
精一杯伝えたつもりだ。
“産んでくれてありがとう”
“生まれてくれてありがとう”
と返してもらっていたら、
また、何か変わったのだろうか。
LINEじゃなくて
通話で“お誕生日おめでとう”と言われていたら
少しは満足したのだろうか。
本当は、
生まれてきてくれてありがとうって
そっと、ぎゅーって抱き締めてほしい。
それとも、電話をしたとき、
直接、言わなかったからなのだろうか。
たぶん、言っても無理だ。
“産んでくれてありがとう”
私が放ったその言葉は
今日という日で区切りをつける
自分のための言葉にしよう。
2022年、10月13日。
父親から、1人で頑張ってえらい、と言われた。
今までも、何回か言われた。
その度に、“1人じゃないよ”
“支えてくれる人、たくさんいるよ”
そう返していた。
今年は、その言葉をそっと、自分で抱き締めた。
母親からの通話。
開口一番
「贈り物の箱が空けられない」と言われた。
その次に、弟の話をされた。
自分の仕事の話と、過去の私の話。
あぁ、2年前と同じだ。
この1年は、本当の意味で諦めるために使おう。
すてきな、一年を、という言葉がある。
その“すてき”という言葉が、わたしは好きだ。
“いい”とは違う魅力がある。
いいことも、嫌なことも、全部引っくるめて
また、来年、同じ日に笑えていたら、
涙は涙でも、嬉し涙を流せていたら
今日流す涙は
立ち直れないほどのものであっても
くるしくても、悔しくても
すてきな1年だったと言えるのではないだろうか。
来年の今日、大切な人と笑って過ごせる
そんな365日を
また、今日から積み重ねられますように。