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「THE新版画」展@美術館「えき」KYOTO

暑がりの私にとって夏の京都は鬼門なのですが、用事があったので、ついでといってはなんですが、少し行ってみたいなと思っていた「THE新版画」展にも行ってみることにしました。

実は橋口五葉に興味を持って調べたことがあり、その際に渡邊庄三郎の名前を知ったこともあって、渡邊庄三郎の新版画というのに惹かれたのでした。

結論としては、暑さのなか頑張って行ってよかったー!!!と心の底から思えるくらい、大満足の展覧会でした。
ととてもお勧めしたいところですが、noteに書くのが遅くて既に終わってる…残念ですが気を取り直して、感想などにお付き合いいただけたらと思います。


全体的な感想

まず、新版画とはなんだ?というところですが、浮世絵商をしていた渡邊庄三郎が、明治となって西洋の写真や印刷技術が入ってきたことによって衰退していった浮世絵に憂慮したところが発端となります。
面白いなと思うのが、ただ伝統的な浮世絵を続けようというのではなく、絵師・彫師・摺師の協同で木版画を制作するという伝統的技術は残しつつ、絵柄としてはその時代に合ったものを目指していたところです。
なんと”新版画”の構想は、日本に滞在していたオーストラリア人画家フリッツ・カペラリの水彩画を見て、新しい芸術としての木版画の発想を得たとのこと。
浮世絵に惹かれつつも、それに固執しすぎない柔軟性が、新しい芸術形態へと導いたのかなと思いました。

もう一つ興味深いなと思ったのは、この新版画は遠くから眺めることを念頭に制作されたということ。
本来、浮世絵というのは、手で持って眺めるものであり、床の間に飾って眺める絵とは違うジャンルのものかと思うのですが、それを飾って鑑賞するものにしたのは、ある意味大きな変革なのではないかなと思いました。
新版画の特徴として、バレン筋をわざと出す「ざら摺り」が挙げられますが、それも遠くから眺める発想があってこそのような気がしました。
というのは、展示されている作品を手で持って見るくらいの至近距離で見てみると、ぐるぐるとした筋が割と邪魔だったのですが、遠くから見るとベタ塗やぼかしではない不思議な味わいが感じられたからです。

ここから少しぶっちゃけた話になりますが。
正直なところ、個人的には風景画があまり刺さらなかったです。特に川瀬巴水の昼間の風景画…
元々そんなに風景画が得意ではないというのもありますが、昼間の風景の版画となると、色が鮮やか過ぎてなんだか安易なポストカードに見えてしまいました。
夕方や夜、雪などの少し暗い風景画は、その微妙な色合いの版画での表現が素敵でした。多分、複雑な色だからこそ単調にならず、見ごたえが出てくるのかと思いました。

反対に人物画(というか美人画)を、予想以上に堪能しました。
また正直なところ、伊東深水はあまり好みではなく、なんとなくぼてっとした雰囲気が苦手なのですが、版画になるととっても素敵でした!!!
摺りになると、少し軽やかになるのでしょうか…
ベタ塗となるところと、繊細な描きこみになる対比や、ざら摺りとの対比の絶妙なバランスが、単調さを回避していたように見えました。

因みに念願の橋口五葉の新版画も見れたのも嬉しかったです。
まだ浮世絵風の線と西洋の影響である影の表現が融合しきれていない気がして、もう少し長く生きていればどう変化していったのかと思うと、早逝が惜しまれました。
とはいえ《化粧の女》は構図といい、銀の背景といい、とても優美でした。

本日の1枚

伊東深水《泥上船》大正6年

伊東深水の美人画を下げて上げましたが、本日の1枚は伊東深水の情景を描いたこの1枚でした。
理由としては、絵としての色・構図、そしてテーマが良いのはもちろん、版画としての摺りが絵に見事にはまっていて、一つの芸術作品としての版画のように感じた気がしたからでした。

船1隻を中央に配置して、2隻目が右に少し見える構図になっている作品なのですが、船や人物たちが青と黒のシルエットに近い形で表現。背景の川と、船の上に積まれた泥にある水たまりは、夕暮れ時なのかうっすらピンクがかかった淡い色で表現されています。

水の表現がざら刷りによって水面の揺らめきが表現されているようで、非常にきれいなんですが、ただきれいな風景で終わらせていないのが、船や人物に入る筋でした。
その筋によって、人物たちの一生懸命働く姿が表現されているようで、荒々しいエネルギーのようでした。

バレン筋も合わせてこの雰囲気を表現しているということで、絵画では置き換えられない作品かと思うと、まさに芸術としての版画作品だなと感じました。

その他好きだった作品

以下は自分用メモとして、好きだった作品の列挙です。

フリッツ・カペラリ《黒猫を抱く女》大正4年
日本の題材だが、女性の顔つきからか一発で日本人作ではないのが分かる作品。よく見ると顔つきだけではなく、アイレベルが低めなのも日本っぽくない気がする。
いずれにしてもかっこいい構図に猫が可愛い。サインも可愛い。

伊東深水《対鏡》大正5年
図版では蘇芳っぽい色だけれど、実際は真紅のように鮮やかな紅。
でもいやらしくない。色を何度も重ねたとのことだが、そのためか色に深みがあるように見えた。
とてもシンプルな構造でありながら、染め上げたような真紅とベタ刷の黒髪、それに対照的な細かな柄の半襟とざら摺の背景、といったように緩急つけている、そのバランスが秀逸。

伊東深水《眉墨》昭和3年
上の《対鏡》と対照的に、背景が真っ赤のベタ刷。それが緊張感を持った画面にしている。眉墨を塗る一瞬をとらえた、という雰囲気にぴったり。
筆を持つ手の形も素敵。

川瀬巴水《東京二十景 芝増上寺》大正14年
川瀬巴水の風景はあんまり…とか言ってたけれど、この作品の前に立つとぴんと張り詰めた空気を感じた。
説明を読むと、関東大震災で巴水は188冊の写生帖を含む画業の一切と家財類を消失したとのこと。この作品は渡邊庄三郎の励ましによって出た旅から帰ってきて制作した、復興途中の東京の姿らしい。それを読むといっそう、緊張感のある静謐な作品に見えてきた。

笠松紫浪《霞む夕べ 不忍池反畔》昭和7年
ただただため息出る美しさ。
色も美しければ、手前に見える柳の効果も素晴らしい。柳の葉が成長しきっていないちらちらした感じなのがまたいい。
笠松紫浪の作品は全体的に素敵だった。

高橋弘明(松亭)《白猫》大正15年
真っ黒な背景に白猫。可愛いくないわけない。
白い体全体に空摺りが施され、凹凸によって毛が表現されているのも版画ならではの面白さかな。
赤い絞りの首輪もかわいい。


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