わらしべ貧者になるな
「おぉ!久しぶり^^まさかこんなところで会えるとは。何年振りだっけ」
「ちゅ、中学生以来だね。.....あ、あとどんくらいで免許とれそう?」
「もうすぐよ。んなことより顔すっとしたなぁ。その顔つき、バスケだな?」
「あ、うん。バスケやってて、」
(あれ、こいつこんなやつだっけ?)
こんなことはないだろうか。違う道を進んだ友達と久しぶりに出会う。しかし、どうも記憶の中の友達との乖離が生まれる。いい方向に向くこともあれば、あれ?といった方向に向かっていることもある。環境の違いが人間を変える事を露呈させる典型的な例だ。これをわらしべ長者っぽく言うのなら、わらしべ貧者といえるだろう。
わらしべ長者とは
殆どの方はわらしべ長者を存じていると思うがここでおさらいをしよう。ある一人の貧乏人が最初に持っていたワラを物々交換を経ていくにつれて、最後には大金持ちになる話である。ビジネスの基本として度々比喩として用いられる。ただ、世の中には交換を経てより貧しくなるケースもある。
わらしべ貧者とは
交換を経てより貧しくなるとは、どういうことか。
「このワラを何かほかのものと交換してくれないか?」
近くのリサイクルショップへ行った。
「はい、じゃあ10円ですね。」
うまい棒を8円で買う。
「このうまい棒と交換してくれないか?」
「じゃあこのグミたべるか?」
50個/100円のグミ2個 = 2つ 4円
グミを交換してくれる人を待つも手に握っていてべとべとに。(価値がもっと下がる)
交渉がへたくそだとこうなる。そもそもリサイクルショップに行ってしまった時点で終わりなのだがそれは割愛する。
環境をワラで例えたとき最初のような事が起きる。
相対的わらしべ貧者
Aさんは一年間でワラを金にまで変えた。
Bさんは一年間でワラを銅にまで変えた。
2人は元々同じワラを保有していて、同じ穴の狢だったのだが、一年たって変わってしまった。AからみるとBは劣ってしまったように感じる。環境をしっかりと選ばなければいけないのだ。
わらしべ合戦に終止符を
Aさんは一年間でワラを金にまで変えた。
Cさんは一年間でワラを恋人に変えた。
AはCに劣っていると感じるだろうか。そもそも、ベクトルを変えてしまえばいいのだ。この考え方は今のトレンドだ。正直ワラをダイヤモンドにしている人もいるだろう。そしたらAは劣っているのだからきりがない。わらしべ貧者になるな。なら長者になるのか。めんどい。じゃあ変者に。
あなたは一年間でワラを何に変える?
誰でも作れるクソ啓発
はい、終了。そもそも自己啓発って読む意味あるん?自己啓発って気づかず読んでるやつもいるよな。ちなみにうえの文章はそれっぽいことをそれっぽい比喩表現を使って書きましたww
なんだよ、わらしべ貧者ってwww
現代貴族の遊び
昔の暇人(きぞく)は哲学したり数学したりして遊んでたわけだ。今の貴族(ひまじん)は何してる?くっだらない人間関係に悩み、どうすればいいか悩んだ末にネットの自己啓発や心理なんとかみたいな下らんものに時間を投じる。かくいう俺もこんな下らん記事に時間を使っているんだからそれこそ同じ穴の狢よw
そんな時間あるなら哲学の本とかよんでみたら?
東洋哲学とかお前らには結構効果ありそうよ。知ってそうなところでいうと老子とか釈迦とか?ヤージュニャヴァルキアヤとかの考えとか結構面白いぞ。
自分を俯瞰して見るみたいな考え方なんだよね。fpsのキャラクターって自分じゃないから何してもいいじゃん。そんな感じで。今のあなたを2つにわけちゃえばいいんだよ。動いているあなた考えているあなたはゲームのキャラクター。それを操作しているあなた。みたいなw
そう考えると、トリハダ映像とかでやってる馬鹿外国人の気持ちとか分かってきて気楽に生きれるぞ。