わたしは そういう人間ではありません
最近自分の中での刷新が続いている。
仕事がものすごく嫌なのだ。
少し前も嫌だったけれど、
本当に会社に行きたくない と具合が悪くなるくらい
嫌な出来事があった。
相手の立場とか、取り巻く環境とか
逆の立場だったらとわかることも多いけど
なんでこんなことに巻き込まれなきゃいけないんだ と
すごく不本意だった。
そんな影響を受ける自分も
今にして思えば不甲斐なくて嫌だった。
言い返せれば、うまく説明できたら とかとか
後悔と怒り理解してもらえない虚しさのオンパレード。
正気に戻ろうとしても全然戻れず
人と会う気力も、楽しかったことも楽しく思えなくなって
みるみるうちにしおれていった。
だから降参した。
聖霊に、もう自分ではお手上げです。と。
やり返すとかしか出てきません。と
その方法がいいやり方ではないのは気づいてます。
だから、いいやり方を教えて下さい、って。
奇跡のコースをやっていてよかったのは
こういうことだと思う。
第3の選択を受け入れる準備がものすごく早くなること。
オーダーして数日後ふと降りてきたんだよね。
この仕事は別に自分にとって重要ではない。
というより、自分より重要なことはない。
ここで、自分の有能さを証明する必要も
残業を積んでまでやりたい内容でもない。
やりたいやつにやらせてやればいい。 って。
数日後わたしは上司に、
今やっているプロジェクトから降りることを伝えた。
その話中にもまたショックなことがあった。
行動言動について指摘を受けたのだ。
わたしはまた同じように考えてた。
上司の言うことももっともでわかる、と。
だけどすごい大きな反発も感じていて、
それは本当にそうなのか? と。
上司から、別の人がいた手前いわなきゃいけなかったと
後からフォローを入れられたけど
注意されたことが本心なのは見え見えだったし
そのことについて上司に怒っているとかは全く無く
ただその「言葉」やそこに込められている「価値観」に
ものすごい違和感を感じていた。
また泥のような数日を過ごした。
そんな気分の中、
なんのきっかけかわからないけれど
Youtubeで流れてきた加藤諦三先生の動画
「悩んでいる人が必ず言えない一言とは?」
わたしはなんでこんなにひかかっているのか
モヤモヤしているのかさっぱりわからなかった。
それが本当に不快で辛かったのだ。
その動画を見てスッキリした。
悩んでいる人が必ず言えない一言は
「わたしはそんな人間ではありません。」
ドンピシャだった。雷に打たれた。
自分でも声を出して言ってみたら
なんていうことだろう
目じゃない、心の鱗がポロっと取れたのだ(笑)
上司の「こうしなさい」は
会社では、上司にとっては常識なのかもしれない。
でもわたしには全く合っておらず
「そんな人間ではありません。」の一言に尽きた。
書いていて気付いた。
で、わたしはこれからどう生きるんだろう。
だって、そんな人間ではない、ことに気づいてしまった。
そしてわたしは気づいてしまったことを
なかったことに出来る人間ではない、ということなのだ。
まいった。
お手上げの日々は続く。
残務処理でまだ今のプロジェクトに関わる時間はもう少し続く。
だけど、この何気ないけれど大きな一言は
この地獄みたいな時間から私の心を救ってくれている。
「わたしはそんな人間ではない。」
おかげで人の機嫌を取ろうとしたり、
株をちょっとでも上げようなんていう、
無駄で小癪な努力がすごく少なくなったと思う。
なくなったと書こうとしたけれど、
無意識にやっている自分に気づくから書くのはやめた。
人の評価を得ようとしているとき
わたしはわたしじゃなくなる。
わたしの本当のしごとは、わたしを生きることなのだ。
やりたいやつ、言いたいやつは言わせておけばいい。
わたしはやることがあるし、
そして支えてくれる仲間、見ていてくれている人もいる。
別にそれが評価されなかろうが失敗だろうが
わたしには価値なんざないのである。
だから、
わたしを生きてどうなるのか
おきることを観察しようと思う。
余談だけど
動画タイトルを書くためによく読んだら
サブタイトルがこのようにあった。
「「聖書以上に必要」と言わしめた
伝説の心理学書のメッセージ」
奇跡のコース繋がりで
こんなに粋なことってある??笑
わたしの聖霊は本当にユーモアがある。