30歳の節目に
ちょっと本格的に死んでみようかなと思った。
別に暗い話ではなく、ひとつの節目的な感じで。
本当に病んで、鬱になって…と言うことはないと思うのだけど、
気持ち的には波があって、元々、「よし、死ぬか!」「死にてぇ〜」「今めっちゃ楽しい死のう!」みたいに情緒不安定に「死にたいなぁ」と考えてる時と、全然死について考えてない時があった。
過去形だけど、私の人生が続くのならきっとそういう気分の乱高下は続くと思う。
はっきりした時期は覚えてないけれど、30の誕生日を迎えたら死のうかなと思った。
ちょっと色々準備をしてみた。
好きな漫画で、こういう時は本気でやってみるのだと読んだことがあるので、躊躇いもせず、本気でそのつもりでやってみようと思った。
と言いながら、30以降の大きめの予定を入れてみたりもしたけど、基本人との個人的な約束を取り付けなかった。
取り付けたかった予定はあったけど、見事に3回落選した。
とにかく、ひとりで完結できるようにしてみた。
大きめの予定に便乗しようとする友人達や弟やツテを紹介してくれた人が心の底から嬉しいと思う反面、実行した時に迷惑をかけてしまうなとドキドキした。
結果的にはひとりの予定になって安心はした。
両親は健在で、きっと迷惑になるだろうなと思いながら、私の全財産や解約しないといけないもの、今は解約できるものを解約した。
私が子どもを産まないと、弟夫婦や姪っ子に迷惑がかかるよ、と言われたことがあるので、じゃあ産んだあなた達が最後に迷惑を被ってくれ、という気分だった。
若気の至りで「死にたい」と言って手首を切った時に、「なんか言ってるよ」「好きにしな」と言った親は、その後弟が「死にたい」と言った時には親身に話を聞いてやっていた。
その時に私は親から死ぬ許可をもらったと思って生きてきた。
そんな当てつけの気持ちもあった。
大人になってみても、家族の中で好き嫌いの優劣をつけるのが私の親という人だし、弟の方が好きだったんだろうなと思ってるし、私でも私よりも弟の性格の方が可愛かったろうなと思う。
十分に育ててもらってるし、衣食住の心配もなく、中高は行きたい学校に行かせてもらったし、大学も条件付きではあったけど奨学金なしでいかせてもらえて恵まれている方だと思う。
弟がソフトを始めるまでは色んなところに連れて行ってもらえたし、手もかけてもらえてると思っている。
もし自分が子どもを作ったとしても同じ事を与えてあげられないと思うし、同時に同じ傷を負わせるんだろうなとも思う。
でも親不孝を許してくださいという気持ちに嘘は無い。感謝はしている。
職場に来なかったら、担当の方が自分の家に来るのは分かってたし、そこから家族には連絡が行く。
まだまだ暑い季節だけど、何週間も経って腐敗してしまう様なことは無いだろうと思った。
瑕疵物件になってはしまうけど、ここで死ぬのが最小限の迷惑かなと思った。
遊んでくれる友人はいるけど、いざ自分が死んだ時にわざわざ連絡をしなくてはいけない友人となると誰も思い浮かばなかった。
学生の頃に誕生日カードを送ったノリで、最後の思い出にと数人に奮発してお花を送ったりした。
当時はほとんど返って来なかったけど、みんな大人だからほぼ返ってきた。
未来の約束が書いてあって、ちょっと泣いた。
こうしてつらつら殴りつけのつもりで書いているけどもう誰に対する当てつけでもアピールでもなくて、今の自分の事のつもり。
いや、やっぱりアピールなのかしら、カマチョは死んでも治らないので。
実際、私は生きているだろうし、SNSもやめられないだろうし、10月2日以降もなんだかんだ楽しく生きているんだろうなと思う。
とりあえずこれは過去の私の遺書であり、多分投稿されているのであれば、元気で生きているのでしょう。
複数日に分けて書いてるのでちょいちょいおかしいかも。
死んだ後の事を考えられるうちは、きっとまだ大丈夫だと漫画が教えてくれたので、予防線を張っておくとして、30歳の節目のちょっと個人的に大掛かりに準備してきた事でした。
思う、ばっかり。
リアル知り合いひくかなぁ。今更かなぁ。
現実では触れないでいただけると大変ありがたい。