『ストレイ・ドッグ』感想
ニコール・キッドマンが華美なイメージを捨ててダーティな落ちぶれた刑事に挑むカリン・クサマ監督作のノワールシネマ。
ニコールが特殊メイクにより、ボロボロの肌でボサボサの髪の中年の女刑事エリンを演じている事で話題だが、反して作中の現行時間の17年前のニコールより若い歳も演じていてそれだけでも必見の作品。
ストーリーは、ある射殺遺体が発見され、17年前の犯罪組織への潜入捜査で悲劇に遭いやさぐれたエリンはその遺体を見て「私は犯人を知っている」と呟き、独り、捜査に向かい渦中で17年前の事件の向き合うことになるというもの。
事前情報で知っていても、画面に登場するなりあのニコールが汚いレザージャケット姿とパンツルックでヒョロヒョロと歩いてくるところから目を引かれ、廃れた顔や手が映るたびに驚かされる。ニコールの俳優性を巧みに利用した、少々あざとくも感じるフックに牽引されていき、野犬のように荒くれたエリンの面で光る鮮やかなブルーの瞳、そこに宿る妄執的でギラついたドラマを見つけて飲まれていく。
17年前の事件への執念に囚われ、かつての仲間の善意すら突っぱねて独り酒も飲みながら乱暴に捜査を進めるエリンの野犬的な姿は愚かにも映るが、17年前の回想と共に綴られて物語が進むたびに「何がそうさせるのか」が気になってしまう。犯罪映画でありながら、昼間のシーンが多いのでカルフォニアの大地と乾いたな撮影が廃退的な美しさを湛えた画面を作っていてノワールに求める情感を与えてくれるのも目が離せない。
ここまでは普通のよくあるノワールとも言えるが、終盤にも差し掛かると予想を裏切るツイストがあり、さらにこの映画を虚無的な情感に満ちたノワールへと昇華させる。エリンには娘がいて、その娘への感情が頂点を迎える瞬間がある。ことばだけ取ればエリンの娘に対する必死な愛に感動するシーンではあるのだろうが、そうはさせないドラマがその前には展開していて、簡単に献身的な想いと取ることができなかった。エリンの行動、背負った罪のカタルシスがこのシーンに詰まっていて、これこそノワールだと強力に印象付けられた。永らくこの終盤のシーンについては特に考え続けることになると思う。
虚無的な余韻をもって考え続けることこそ、ノワールシネマの魅力であって、『ストレイ・ドッグ』はそれを再確認した映画となった。今年、ベスト級の映画。